善福寺日乗

ある職業的散歩者の日記

2020-07-01から1ヶ月間の記事一覧

日本学士院賞を撃つ

以下は、戦後に経済学分野の日本学士院賞を受賞した人物、受賞時の年齢、受賞対象となった研究タイトルをリスト化したものです(研究タイトルが長いものは一部省略しています)。受賞時の平均年齢は62.13歳であり、対象となった研究はほとんどが経済史や経済学…

Lost Century (6)待機する日本

1943年8月、シモーヌ・ヴェイユは亡命先の英国で客死しましたが、食事を摂ることを拒絶して死の床に横たわる彼女の脳裏に、11年前に目にした情景が去来していただろうことは想像に難くありません。 リセの哲学科教授だったヴェィユは、1932年、23歳の夏をド…

Lost Century (5)二重構造論ふたたび

1970年代の後半から1990年代はじめにかけて、中小・零細企業や非正規雇用の労働者たちのルサンチマンをよそに、日本的経営とその中核をなす日本型生産システムや日本型雇用システムを礼賛する論調が、内外で高まりを見せました(ただし、ニクソンショックや第…

Lost Century (4) 二重構造とルサンチマン

有沢広巳が日本経済に特有の二重構造問題を指摘する3年前の1954年(昭和29年)、アーサー・ルイスは、二重経済モデル(dual-sector model)を提唱しました。以下はWikipediaからの引用です。 『伝統的な農業部門からの余剰労働力を現代的な工業部門が吸収するこ…

Lost Century (3)日本型生産システムの終焉

日本社会が2次にわたるオイルショックを克服し、繁栄の頂点に向かっていた1970年中頃から90年代初めにかけて、日本型経営とその中核をなす日本型生産システムが注目を浴びたことは、以前の投稿でも触れましたが、この時期、かつては日本経済の病巣として認識…

Lost Century (2)Japan as Number One

ブレトンウッズ体制の崩壊と2次にわたるオイルショックは、全世界に不況とインフレをもたらしましたが、スタグフレーションに苛まれる欧米諸国をよそに、日本経済はいち早くその衝撃を吸収し、1980年代中期以降、黄金期を迎えます。高品質や省エネ技術、低価…

Lost Century (1)ターニングポイント

日本は長い間、人口過剰社会でした。環境問題研究家の石浩之(朝日新聞・東京大学)は、National Geograpic 2011年4月号の記事”急ブレーキがかかった人口過剰社会”で、次のように述べています。 『そもそも明治以降、日本は、過剰人口をどうするかということが…

二人だけの橋

有沢広巳が二重構造問題を提起した翌年の1958年、水野久美と久保明が共演する映画”二人だけの橋”が公開されました。とりたてて話題となった作品ではないようですが、2009年6月、たまたまケーブルテレビで放映されたのを視聴し、そのころ毎週のように足を運ん…

Industrious Poverty

2011年12月17日の朝日新聞が報じた国立科学博物館が収集した人骨にまつわる記事のなかに、 『江戸時代の成人の平均身長は男性が150センチ台半ばで、女性はそれよりも10センチほど低い。日本のすべての時代の中で最も小柄だった。栄養状態が悪いうえに狭…

共同幻想としての日本型雇用システム(3)

高度経済成長の原動力の一つは、無尽蔵ともいえる低廉な労働力でした。高度経済成長も終盤にさしかかった1966年(昭和41年)に上梓された”日本産業百年史”(有沢広巳監修)を締めくくる一章において、向坂正男(向坂逸郎の弟)は、 『また労働力の豊富、低廉なこと…

共同幻想としての日本型雇用システム(2)

NHKのニュースサイトが日本型雇用についての解説記事を掲載しています。 記事は、日本型雇用システムに関する経済団体側と連合側の意見を紹介した上で、 『日本型雇用の見直しは、実はこれまでも議論されてきたテーマでもあります。日本では2000年代の初めに…

共同幻想としての日本型雇用システム(1)

1月23日付けの朝日新聞朝刊が、神津連合会長の記者会見における発言を報じています。主要部分を紹介します。 『今春闘について「すべての働く者のための春闘としたい」と語り、大企業と中小企業、正社員と非正規社員の賃金格差の是正に力を入れる考えを示し…

幸福

仕事をほったらかしにして散歩に明け暮れ、1970年前後に製造されたマニュアルフォーカスのレンズをつけた安物のデジカメで、黄昏の街角をスナップしていた時期がありました。今にして思えば、これまでの人生で最も幸福な時代だっような気がします。 アップし…

豆腐屋さんはなぜ姿を消したのか

2007年の6月、強烈な陽射しのなかを4時間ほど歩いてたどり着いた足立区本木で、大正時代に創業したという豆腐屋さんの二代目からお話をうかがう機会がありました。「たぶんあと10年もすれば・・・」清廉な人柄をにじませる面差しをわずかに曇らせて、老店主…