2007年の6月、強烈な陽射しのなかを4時間ほど歩いてたどり着いた足立区本木で、大正時代に創業したという豆腐屋さんの二代目からお話をうかがう機会がありました。「たぶんあと10年もすれば・・・」清廉な人柄をにじませる面差しをわずかに曇らせて、老店主は断言したのでした「東京の豆腐屋は姿を消す」。
あれから12年あまり、我が家の近所にあった豆腐屋さんは、3軒すべてが廃業してしまいました。最低賃金すれすれの時給で働く非正規雇用の工場労働者がつくり、これまた最低賃金すれすれの時給で働く非正規雇用の店員が売っている、そして優越的地位を濫用した「販売協力」に支えられたダンピングが常態化しているスーパーの豆腐には、とうてい太刀打ちできなかったのでしょう。
ケーキ屋の看板娘はどこへ行ってしまったのか。模型店で塗装のテクニックを教えてくれた青年、あるいは寡黙だった古書店の女主人、おしゃべり好きで「口を動かす暇があったら、体を動かせ」といつも父親に叱られていた魚屋の二代目は、いま何をしているのか・・・錆が浮きだしたシャッターの前を通り過ぎるたびに、彼らもまた非正規雇用労働者の群れに呑み込まれてしまったのではないかという当て推量が脳裡をよぎります。
個人商店や自営業者が衰退していった責任のすべてを、蔓延する非正規雇用や不公正な取引に負わせることができないことは承知しています。
1980年代以降、アメリカを席巻した市場万能主義の波は全世界に波及し、その過程で我が国の保護主義的な価格体系は淘汰されました。価格革命ともいうべきこの変化は不可避であり、本来は歓迎すべきものでした。というのも、戦争の遺物ともいうべき統制経済体制にケインズ主義を接ぎ木した醜怪なキメラ、すなわち国家社会主義的な統制により守られているのをいいことに、おもな内需関連産業は安閑とし続けていたため、国民の多くは繁栄の果実を享受できずにいたからです。流通をはじめエネルギー、通信、運輸、農業、建設、保健医療など広汎な分野にわたって非常識ともいうべき負担を強いられていました。
しかし、低賃金や不当労働行為の蔓延を許した労働法制や公正取引関連法制の不備、あるいは行政機関の不作為が、個人商店や自営業者の衰退を加速させてきたことは否めません。