兄の遺著が届きました。目次だけでも11頁、全体では650頁を超える浩瀚な一冊ですので、内容を要約してお伝えすることは手に余ります。そこで、兄の思いが滲み出た2つのパラグラフをご紹介したいと思います。
一つは最終章である"第五章 訳読の方法と課題"の最終節"5.訳読の復権に向けて"の最後のパラグラフです。
『・・・概括的に言えば、日本人はオランダ語の訓読法に倣って英文訓読法を編み出し、それによって英語を学び、訳してきたが、一部にはたえずこれ以外の訳し方(新しいプログラム)はないかと、問を発し続けた人たちがいた。そうした探求の結果が直読直解法や順送りの訳のような形で間歇的に現れたのである。われわれはこの順送り訳という豊かな遺産を十分に活用する形で、どのような訳読が望ましいかを考えてきたが、少なくとも新しい訳読法(翻訳法)の基本的構想は提示できたと考える。今われわれは訳読の復権の緒についたのである』
兄は高言や激情とは無縁の人でしたので、このパラグラフには胸を衝かれました。書き終えたときに兄の脳裡に去来したであろう、
もう一つは死去する少し前に、医師に懇願して自宅に戻り書き上げた"あとがき"です。
『・・・「訳し上げ」と「順送りの訳」を対比的に捉えるようになったのは1982年・・・のことである。・・・一連の機能文法の理論を翻訳学に応用してみようという考えが生まれてきたのである。しかし、それも2000年代を待たなければならなかった。これに関しては常に私の後ろにあった吉本隆明の美しい本"言語にとって美とは何か"が作用していたように思われる。「おまえさんなんか、まだまだだよ」とか「おまえさん、いくら何でももうそろそろじゃないのか?」と、絶えず背中を引かれ押されているような気がしたのだ。
本書のような特殊な内容と動機をもつ本が出版されるためには、本書の意義を理解できる編集者の存在が不可欠である。法政大学出版局の郷間雅俊氏の眼がなければ本書が日の目を見ることはなかったかもしれない。
最後に、本書の後についてであるが、常識的には本書が遺著となるのは当然であろう。しかし私はあえて、<最後から二冊目の本>(the penultimate book)であるとしておきたい』
"あとがき"を読み終えて、病室にあった遺品の中にどうして40年以上も前に印刷された文庫版の"共同幻想論"と"言語にとって美とは何か"があったのか、なぜハルノ宵子の"隆明だもの"の差入れを頼まれたのかが、ようやく釈然とした次第です。
最後の一文については、今なお冷静に読むことができません。
来週末には納骨のため帰省しますが、両親も眠る墓前にこの本を供え、兄が愛した阿武隈の森を歩いてきたいと思っています。