善福寺日乗

ある職業的散歩者の日記

実験の代償

 サミュエルソンの”経済学”(岩波書店)を読んで以来、45年ぶりに経済学の教科書を手にとりました。IMFのチーフエコノミストとしても活躍したオリヴィエ・ブランシャール(MIT)の”マクロ経済学第2版”(東洋経済新報社、2020年4月)です。そしてイントロダクションの第1章「世界経済の概観」に目を通すなり、愕然としました。

 以下は、第1章の目次とそれぞれの節に割り当てられた頁数です。

  1-1.経済危機       4頁
  1-2.米国         6頁
  1-3.ユーロ圏       6頁
  1-4.中国         4頁
  1-5.これから先を見つめて 1頁

 日本は「1-5.これから先を見つめて」のなかにインドに次いで登場しますが、その分量はわずか4行。失われた30年がもたらした日本社会の衰退が、いかに凄まじいものだったかを改めて実感させられ唖然とした次第です。が、しばらく思いを巡らすうちに、日本についての記述があまりにも少ないのには、別の理由があるのではないかと考えるようになりました。ブランシャールは詳細に論述しなかったのではなく、できなかったのではないか。つまりこの30年間に日本社会で何が起こり、これから何が起ころうとしているのか、そしてどのような処方箋が必要なのかについて立論できなかったのが理由ではないかと思うに至ったのです。
 というのも、3か月ほど前にたまたま読んだ、早川英男(日本銀行富士通総研)のレポート”MMT(現代貨幣理論) : その読解と批判”(2019年7月)の補論”米国主流派経済学者による財政重視論について”を思い出したからです。
 少し長くなりますが引用します。

MMTを巡る論争の陰に隠れてやや目立たない印象はあるが、米国では最近になってサマーズ、クルーグマン、ブランシャールといった大物の主流派経済学者たちが(MMTは批判しながら)財政政策の重要性を訴えるようになっている。基本的には、数年前からのサマーズらによる「長期停滞論」を背景としつつ、自然利子率が低下して金融政策が有効性を失っている状況では、マクロ安定化政策として財政政策がより重要になっているとするものだ。・・・とくに、元MIT教授でIMFのチーフエコノミストをも務めたブランシャール氏が今年1月の全米経済学会の会長講演において、低金利環境下では財政政策を積極的に活用すべきだと訴えたことは多くの人々の注目を集めた。
 こうした米国主流派経済学者による財政重視論に対する筆者の率直な印象は、驚きと落胆であった。と言うのも、金融政策がゼロ金利制約に直面している(近づいている)時に、マクロ経済政策として財政政策が重要になるというのは、当たり前過ぎるからである(「流動性の罠」について学んだ後なら、学部1年生でもそう答えるだろう)。にもかかわらず20年前、彼らは日本に対して「ゼロ金利でも、量的緩和インフレ目標でデフレを克服できる」と主張していたのだ。
 その後、彼らが意見を180度変えた背景に大きな理論的イノベーションがあった様子はない。要は、20年前の米国はグリーンスパンFRB議長が「マエストロ」と呼ばれた時代で、金融政策の効果への過信(景気循環は終わったというgreat moderation論さえ拡がっていた)があった一方、現在はリーマン・ショック後の非伝統的金融緩和の効果が限定的だったという事実に学んだということだろう。現に、ブランシャール講演も大部分が「今後暫くは金利水準(r)が名目成長率(g)を下回る」という氏の予想、つまり環境変化の説明に当てられている。日本人エコノミストとしては、「彼らはいつも自国の環境だけを考えていて、日本の実情など眼中にない割に、政策提言だけは安易に打ち出してくる」という印象を持たざるを得ないだろう・・・
 この点は、20年前にリチャード・クー氏が展開していた議論を視野に収めることで、より明確にすることができる。当時、クー氏は「バブル崩壊後のバランスシート不況では資金需要が無くなってしまうので、金融緩和をしても効果はない。財政出動が必要だ」と主張していた。この「資金需要が無い」という部分を「自然利子率が低い」と置き換えれば、現在の米国主流派の議論と同じであり、かつ「自然利子率が低い」のは「低金利でも投資不足」という意味だから、「低金利でも資金需要が無い」のと全く同じことである。しかも、クー氏はMMT論者のように「財政赤字の制約はインフレだけ」と主張していたのではない。「金利が上がって来れば金融政策が復活するので、財政は引っ込んで良い」と述べていた訳で、金利を軸に財政政策の有効性を判断する点でも、米国主流派と同じである。つまり、現在の米国主流派は20年前のリチャード・クー氏の立場から一歩も前進していないということだ』

 1992年の翁-岩田論争に始まるリフレ派と日銀エコノミストの論争において、欧米の主流派経済学の重鎮たちはリフレ派を後押しし、日本を「主流派経済学の実験場」にしました。
 ”経済学はどのように世界を歪めたか - 経済ポピュリズムの時代”(ダイヤモンド社、2019年9月)の著者である森田長太郎(SMBC日興証券 チーフ金利ストラテジスト)は書いています。

『この論争(翁-岩田論争)が始まった時、おそらく日本の債券市場で実務に携わっていた参加者の多くは、翁邦雄の言っていることは当然すぎることであり、岩田規久男という学者は一体何を訳の分からないことを言い始めたのだろうと感じていたのではないだろうか。
 日銀が自由に動かせるマネーの量というのは、日々の準備預金の額であり、それも一ヶ月間の「準備預金積み期間」を通してみれば、民間銀行は必要以上の準備預金は保有したがらないので、日銀は準備預金の金額ですら恒常的に増減させることは容易ではない。銀行が必要以上の準備預金を保有することを短期金融市場では「ブタ積み」と言い慣わしていた。
 ましてやM2やM3といったより広義の貨幣集計量(=マネーサプライ)は、銀行の信用創造などのプロセスを経て増減するため日銀がコントロールできる範囲は限定される、というのが金融実務の観点からの常識であった。私自身、この論争に最初に接した時、「経済学者は、ずいぶんと強引なことを言うものだな」というのが最初に持った感想であった。
 ・・・さらに言えば1990年代以降の日本経済や金融政策についての議論は、その後の欧米の経済政策にも間接的に大きな影響を及ぼしていくのである。しかし、欧米の経済学者たちは、「翁−岩田論争」自体は、意図的かそうでなかったかは別にして、ほぼ無視したようである。
 欧米の経済学者の間では、翁邦雄の主張は「明らか」に間違っており、翁のような考え方こそが日本経済にデフレーションをもたらしている元凶なのだと断じるような傾向もあった。欧米では、翁のような見方を「日銀ビュー」として片付け、それが誤りであることを前提に議論をするようなところがあった。このような認識は、現在でも欧米の経済学者コミュニティおよびその影響下にあるウォールストリートの一部の参加者たちの間では根強く残っており、ある種の定説となっている』

 クルーグマンなど主流派経済学の重鎮たちの尻馬に乗ったリフレ派は勢力を拡大し、2010年8月には”デフレ脱却国民会議”なるものまで結成されます。その設立趣意書と呼びかけ人をご紹介しましょう。

『日本の長期停滞の原因はしつこく続いている「デフレ」という現象です。経済というのはモノとお金のバランスによって成り立っています。しかし、お金の供 給を長いこと怠ってしまうと、そのバランスが崩れ、お金が極端に不足します。すると、人々はモノよりもお金(紙幣=印刷された紙)に執着する現象が発生するのです。この現象がデフレです。人々は紙幣(=印刷された紙)を欲しがってモノを買いません。モノが売れないので企業の業績は悪化し、失業が増え、若年層が定職に就くことができず、世の中に悲観ムードが広がっています。
 デフレと円高を解消する唯一の手段は、政府と日銀が協調して貨幣量を正しい形(非伝統的なオペも駆使して)で増加することです。これが世界の中央銀行の常識です。要するにモノに対してお金の量が不足しているわけですから、お金を国民に持たせるようにすればいいのです。ところが、マスコミがこのことをちゃんと伝えないのです。
 これまで政府はデフレをずっと軽視してきました。軽視どころではありません。その姿勢が行き過ぎるあまり、「モノが売れない原因は心が豊かになったからデフレになった」といったおよそ経済学的には考えられない「非常識」があたかも「常識」のような形でなってしまったのです。 巷に氾濫する経済学の「非常識」はいつのまにか「常識」になっています。この間違った「常識」を疑うことから始めようではありませんか!
本会は広く国民の皆様と経済学の知見を共有することを目的として設立されました。もはやデフレ脱却は一刻の猶予もありません。個人的な利害関係を超え、デフレ脱却に必要な政策を早期に実現していくために活動してまいります。

呼びかけ人 <2010年8月18日現在>
勝間和代(経済評論家、中央大学大学院客員教授)、田原総一朗(ジャーナリスト)、浜田宏一(イェール大学教授)、岩田規久男学習院大学教授)、田中秀臣上武大学教授)、若田部昌澄(早稲田大学教授)、浅田統一郎(中央大学教授)、高橋洋一嘉悦大学教授)、野口旭(専修大学教授)、森永卓郎(経済アナリスト、獨協大学教授)、原田泰(エコノミスト)、斉藤淳(イェール大学助教授)、松尾匡立命館大学教授)、安達誠司エコノミスト)、松岡幹裕(エコノミスト)、嶋中雄二(エコノミスト)、山形浩生(評論家兼業サラリーマン)、宮崎哲弥(評論家)中村宗悦(大東文化大学教授)、片岡剛士(三菱UFJリサーチ&コンサルティング主任研究員)、矢野浩一(駒澤大学准教授)、飯田泰之駒澤大学准教授)、稲葉振一郎明治学院大学教授)、山崎元エコノミスト
事務局長 上念司(経済評論家、㈱監査と分析 代表取締役)』

 呼びかけ人の殆どは債券市場の素人でした。つまり日銀がベースマネーを増やしたからといってマネーストックが増加するわけではなく、従ってインフレになるわけではない、という債券市場の実務家にとっては当たり前すぎる常識が通用しない人々の集まりだったのです。なお、アベノミクスの始動により、このメンバーの中から二人の日銀副総裁(岩田規久男、若田部昌澄)、3人の日本銀行政策委員会審議委員(原田泰、安達誠司、片岡 剛士)が生まれました。

 2016年9月、日銀は新たな金融政策の枠組み(長短金利操作付き量的・質的緩和)を導入し、実質的に2013年4月に導入を決めた異次元緩和(量的・質的金融緩和)の転換を余儀なくされました。
 主流派経済学の「実験」は失敗したのです。
 リチャード・クー(野村総合研究所)が自身のバランスシート不況論をまとめた”デフレとパランスシート不況の経済学”(徳間書店、2003年10月)の中に、「血迷った実験は日本ではなくネバダの砂漠でやれ」という一節があり、そこで次のようなエピソードが紹介されています。

『日本にやってきた海外のマネタリストは、日銀の幹部に「大胆な金融緩和を敢行したまえ。効果がなくたって、損をするわけじゃなかろう」と言い続けた。これに対し日銀の幹部はこう答えたという。「あなたの言う実験は、誰も住んでいないネバダの砂漠でやってください。多くの人々が住む日本で、そんな実験はできません」。全くもって日銀幹部の言うことが正しいのである』

 不幸なことに、実験は強行されました。
 2016年の石橋湛山賞は翁邦雄(日本銀行京都大学、法政大学)の”経済の大転換と日本銀行”(岩波書店、2015年3月)に贈られました。その選考理由に次のような一文があります(北村行伸一橋大学研究所所長”翁邦雄先生の人と業績”より)。

『選考委員が一致して本書を推薦したのは、日本銀行が非伝統的金融緩和政策を、「出口」が見えないまま、このまま続けていくことにより、数年後に現出しかねない厳しい事態に警鐘を鳴らす役割を期待したからです』

 厳しい事態はすでに現出しています。
 小黒一正(財務省、法政大学)は、2016年10月14日付けのコラム”異次元緩和の限界が明らかにした「岩田・翁論争」の勝敗”(http://www.world-economic-review.jp/impact/article740.html)において、すでに膨大な損失が発生していると述べています。

『開始当初は成功したように見えたが,長期国債を年間ネットで80兆円も購入しているにもかかわらず,マネーストックは想定よりも伸びず,最近は原油価格の下落等の影響で再びデフレに戻りつつあった。日銀が購入する長期国債のボリュームが大き過ぎることから,2017年や2018年頃には国債市場で取引する国債が枯渇する懸念が指摘され始め,マネタリーベース目標の限界が徐々に明らかとなってきた。
 このような状況の中,日銀は異次元緩和の転換を行い,改めて翁氏に軍配があがった恰好となった。この転換は,異次元緩和の限界(=マネタリーベース目標を重視するリフレ政策の失敗)を暗黙に認め,その軌道修正を図ったことが大きなポイントで,一定の評価ができるが,今回の壮大な実験のツケは大きい。
 というのは,異次元緩和の裏側で日銀の損失が急拡大しているためである。その最も代表的な事例が,日銀が「オーバー・パー」(額面を上回る価格)で長期国債を購入(買いオペ)することにより抱える損失である。例えば,日銀が額面100円の国債を市場から101円で買いオペし,償還満期まで保有すると,100円しか償還されないので1円損をする。
 では,実際の長期国債に関する損失(オーバー・パー)はどのくらいか。まず,上記事例の額面価格(100円)に相当する長期国債の総額は,「日本銀行保有する国債の銘柄別残高」から把握できる。
 また,上記事例の取得価格(101円)に相当する長期国債の総額は,日銀の「営業毎旬報告」から読み取れる・・・。
 例えば2016年8月31日時点において,日銀の「営業毎旬報告」に計上されている長期国債(均等償却後の取得価格)は339.55兆円である一方,「日本銀行保有する国債の銘柄別残高」(額面ベース)は330.73兆円となっている。
 これは,保有する長期国債で約10兆円(厳密には8.82兆円)の損失(オーバー・パー)を抱えており,それは日銀の自己資本(=引当金勘定+資本金+準備金)約7.6兆円を既に上回っていることを意味する。
 このため,2015年11月26日,政府・日銀は,日本銀行法施行規則・・・や日銀の会計規程を改正し,国債の償還や売却に伴う損失などに備え,債券取引損失引当金の拡充を進めているが,それが追い付いていない現状を示す・・・。
 なお,デフレを脱却し金利が正常化した場合,保有する国債金利が低いまま,超過準備の付利だけ高めると逆ざやの状態になり,自己資本を食い潰す可能性もある。例えば,日銀が準備の付利を2%引き上げた場合,逆ざやの損失額は「長期国債の平均償還年限 × 保有する長期国債の総額 × 金利上昇幅」で簡単に試算でき,それは48兆円(= 8 年×300 兆円×2%)に達する可能性もある。
 今後は,このような損失処理も念頭に,異次元緩和の後始末も徐々に検討することが望まれる』

 量的・質的緩和政策の失敗が徐々に明らかになるにつれ、クルーグマンやブランシャールなど主流派経済学の重鎮たちは宗旨替えを余儀なくされました。フリードマンの「インフレはどこまでも貨幣的な現象である」という理論は正しいとしても、「デフレもまた貨幣的な現象である」とは、言いきれなかったのです。少なくとも日本においては。
 金融政策の限界が明らかになり、財政政策もまた天文学的な国債発行残高による制約がある現在、日本にはどのような選択肢が残されているのかについて、ブランシャールはついぞ答えを見つけられなかった。それが”マクロ経済学第2版”における日本の冷遇につながったのではないか。そう推測しています。