善福寺日乗

ある職業的散歩者の日記

デービッド・アトキンソンに期待する !?

 菅政権が新たに立ち上げた「成長戦略会議」のメンバーに、竹中平蔵デービッド・アトキンソンが加わっています。
 竹中平蔵に関しては、リチャード・クー(野村総合研究所)が”デフレとバランスシート不況の経済学”(2003年10月、徳間書店)のP327〜および”「追われる国」の経済学ーポスト・グローバリズムの処方箋”(2019年5月、東洋経済新報社)のP417〜において、繰延税金資産の処理やペイオフ解禁に関する具体例をあげて痛烈に批判し、その無能ぶりと傲慢さを明らかにしていますので取り上げません。興味のある方は上述の書籍を参照してください。
 僕は『ゴールドマン・サックスで日本経済の「伝説のアナリスト」として名をはせた』という触れ込みで、東洋経済を中心に論陣を張るデービッド・アトキンソンに注目しています。
 東洋経済のWEBサイトにアップされた多数の記事からも読み取れるように、アトキンソンの論旨は単純明快であり、一貫性があります。
 ”新・生産性立国論”(2018年3月、東洋経済新報社)に基づいて、彼の論旨を大胆に要約すると以下のようになります。
[生産性の向上が必要な理由]
・2016年から2060年までの間に、日本の生産年齢人口は3,263万人(42.5%)減少する。
・「一国の経済規模=一人当たりの生産性×人口」なので、人口減少社会では生産性を向上
 させないと経済規模が縮小する。
・GNPが減ったからといって国の借金は減らない。また、人口は減っても高齢者数はあまり
 減らないので、年金・医療の割合が増大していく。
・生産年齢人口(特に低賃金で働く人々)を移民により補おうとすると、かつて西ドイツが経験
 したように、将来的な福祉費の増大に苛まれることになる。
・よって移民ではなく生産性の向上によって生産労働人口の減少をカバーしなければならない
 が、日本の生産性は先進諸国の中で最低レベルに止まっている。
[生産性向上のために必要な政策]
①規模の小さい企業数を削減する。
 一企業当たりのGDPと生産性の相関係数は84.2%。つまり企業の規模が小さいと生産性も低い。生産性の低い企業には退出してもらい、企業数を減少させる必要がある。従って、近年問題となっている中小企業の「事業継承問題」は歓迎すべきである。
最低賃金を上げる。
 低賃金と生産性の相関係数は84.4%。つまり最低賃金が高ければ生産性も高まる。一人当たりGDPが日本に近いドイツ・フランス・英国の最低賃金は、一人当たりGDPの約50%であるのに対し、日本は27.7%に止まっており、先進31カ国中26位である。なお、最低賃金を上げると失業率が高まるという主張もあるが、英国では最低賃金を大幅に上げても失業率は増えなかった。
③女性に活躍の場を用意する。
 女性が活躍している国ほど生産性が高い(相関係数77%)。つまり女性の労働参加率が高く男女が「同一労働」をしている国、つまり男女の生産性格差・所得格差が小さい国ほど生産性が高い。日本は144カ国中118位である。ちなみにヨーロッパ諸国は、社会保障制度の導入に伴う医療費や年金負担の増大に、移民の受け入れではなく女性の活用により対応した。
 統計に裏付けられたアトキンソンの主張には、説得力があります。特に「③女性に活躍の場を用意する」については争いがなく、「②最低賃金を上げる」についても、政府部内などで徐々にコンセンサスが形成されつつあるように感じます。
 ただ、経済界にはまだ異論が根強いのか、1990年代に”日本の賃金は世界一”というキャンペーンを展開するために、旧日経連の経済調査部長だった大久保力がおこなった、社長を含む法人企業の役員や特別職の公務員、議員までも加えた「雇用者所得」を「労働コスト」と読み替えるイカサマ(“賃金の国際比較と労働問題”海野博、1997年12月、ミネルヴァ書房、P97〜104参照)を彷彿とさせる、エコノミストとしての矜持を疑わざるをえないような文章も散見します。
 大和総研の2019年8月20日付レポート”最低賃金引き上げで経済は活性化するのか - 最低賃金は国際的に見て低くなく、経済政策としての有効性は不明確”はその一例です。
 日本の最低賃金は国際的に見て低くないことを説明するために、大和総研エコノミストたちは格好の指標を発見しますが、小心者の僕には、家計消費額が低い(つまり貧しい)国ほど有利になりかねないこの指標に基づいて、「日本の最低賃金は国際的に見て低くない」と主張する勇気はありません。
『・・・本稿で注目した指標が、「1 人当たり家計消費額(名目家計最終消費支出÷総人 口)」である。すなわち、最低賃金で 1 年間働く場合(労働時間を年 2,000 時間と想定)の年収 が、平均的な消費額の何パーセントに相当するのか、を国際比較のベンチマークにする。家計消費額は SNA ベースであるため国際比較が可能であり、最低賃金で働く人の税・社会保険料負 担はどの国でも相当低く抑えられているため、税制や社会保障制度の影響を受けにくい。また、「労働者の生活の安定」を目的の一つとする最低賃金法の趣旨にも合致した指標といえる。
 実際に 1 人当たり家計消費額を用いて最低賃金を国際比較した図表 5 を見ると、日本は 2017 年で 71.8%と OECD 加盟国の平均値をやや上回る水準である。イタリアを除く G7 諸国で比較すると、フランスやドイツ、英国を下回るが、米国やカナダよりも上位にある。日本では 2018 年 度に最低賃金が平均消費額を上回るペースで引き上げられたことで 73.2%まで上昇しており、 2019 年度もさらに上昇する見込みである 。こうしたことを踏まえれば、「日本の最低賃金は国際的に見て低くない」と評価してよいだろう』
 アトキンソンの話に戻ります。
 問題は「①規模の小さい企業数を削減する」という主張です。雇用の二重構造や規模間格差など欧米にはない病巣を抱えた日本社会において、この主張は果たして妥当なのか、そして実現可能なのか、疑問が湧いてきます。そこで次回以降、以下の5つの視点から検証していきたいと思っています。
①ピラミッド型生産構造の成立と解体
 ピラミット型に形成された前近代的な下請け構造が、日本の加工組立産業をはじめとする製造業の競争力の源泉だったこと、プラザ合意ベルリンの壁の崩壊などを契機に、その解体が進行しているという視点からのアプローチ。さらに、日本製造業の最後の砦である自動車産業が、100年に一度とも言われる変化(=創造的破壊)に直面しており、これが日本経済の全面的な衰退を引き起こすかもしれないという問題意識からのアプローチ。
労働市場の二重構造とその解体
 石川経夫(東京大学)・出島敬久(東京大学、当時)が、”日本の所得と富の分配”(1994年9月、東大出版会)の第6章”労働市場の二重構造”においてその存在を実証した労働市場の二重性からのアプローチ(これは同時に、疲弊した雇用制度とリンクした教育制度の問題点についての議論を含む)。さらに、パートタイム・有期雇用労働法の施行や旧労働契約法20条最高裁判決などがもたらす終身雇用・年功序列賃金を特徴とするメンバーシップ型雇用の解体といった視点からのアプローチ。
③全部雇用的世界の解体と復権
 二重構造モデルに都市・農村の潜在的過剰人口を加えた氏原正治郎(東京大学)の三重構造モデルからスタートして、野村正實(東北大学)が”雇用不安”(1998年7月、岩波新書)において描いた全部雇用的世界の成立と解体、そして超高齢化社会における復権という視点からのアプローチ。
④長期停滞仮説と日本
 ローレンス・サマーズ(ハーバード大学、財務長官等)の長期停滞仮説や、イングランド銀行のルーカス・レイチェルとトーマス・スミスが明らかにした自然利子率の将来展望を受けて、人口減・超高齢化をはじめ雇用の二重構造、規模間格差といった問題をかかえる日本では、自然利子率(≒潜在成長率)の低下が、より激烈に進展するのではないかという問題意識からのアプローチ。
⑤新しい社会政策
 ①〜④の検討を踏まえ、住宅、教育、介護・医療、年金、コミュニティ再生などの社会政策をいかに再構築していくかという視点からのアプローチ。
(続く)