善福寺日乗

ある職業的散歩者の日記

ふたたび「小さな国」へ

 11月11日付の日本経済新聞が、日本電産代表取締役会長兼CEO・永守重信が第22回日経フォーラム「世界経営者会議」でおこなった講演の内容を報じています。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO66037840Q0A111C2000000/

『・・・世界的な環境規制強化を背景に電気自動車(EV)が普及し、「2030年に自動車の価格は現在の5分の1程度になるだろう」と述べた。EVの核はモーターとバッテリーであるとして、「高額なバッテリー価格は技術革新で変わる」と話した。・・・永守氏は「自動車メーカーがハードで勝負する時代は終わり、ソフトになる」と指摘する。「ハード部分は専門メーカーに任せて、我々がシェアを取る時代がきている」と述べた。30年ころにはEVが全体の5割を超え、価格は5分の1程度になると強調した』

 同じ日に”マネー現代”(講談社)は、”電気自動車の「価格破壊」で、トヨタの売り上げが「5分の1」になる日 - ホンダや日産は全くついていけない”という刺激的なタイトルの記事を配信しました。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/77074?imp=0
 執筆したのは元朝日新聞記者の井上久男。9月におこなった永守へのインタビューに基づくこの記事は、

『将来的に電気自動車(EV)の価格は5分の1になるでしょう。単純計算すれば、自動車メーカーの売上高が5分の1になることも十分にあり得るということです』

という永守の発言を手掛かりに、いま自動車産業に起きている変化をわかりやすく解説する一方で、

カローラのエンジンの生産コストを中国並みにするため、国内の下請け企業に対しても、原価を30%低減させるプロジェクトが始まっている』

 というトヨタの動きを紹介しています。
 誤解を恐れずに言えば、「100年に一度と言われる創造的破壊の大波に、日本型生産システムによるコストダウンで対抗しようとするトヨタを筆頭とする日本自動車産業」という構図が見えてきます。

 しかし、日本自動車産業に勝ち目はあるのでしょうか?
 早川英男(日銀、富士通総研)は、富士通総研のオピニオン欄において以下のように述べています。
https://www.fujitsu.com/jp/group/fri/column/opinion/201608/2016-8-6.html

『未だ新興国のキャッチアップが本格化せず、技術進歩のスピードもゆっくりだった冷戦期(1950~80年代)が、長期雇用を前提にOJTで育成されたメンバーシップ型の従業員が地道なカイゼンを積み重ねていく日本企業の全盛期だったことは、すでに昨年8月の本欄「今こそ「日本的雇用」を変えよう(2)」で述べた。しかし、中国を先頭に巨大な人口を擁する大国の経済的離陸が始まり、ICT革命を期に技術進歩が加速すると、西村清彦教授の表現を借りれば(”日本経済 見えざる構造転換”、2004年9月、日本経済新聞社)カメのように動きの遅い日本企業の競争力は失われていった。
 なかでも影響が大きかったのは、ICT革命以降に製品アーキテクチャーが大きく変わったことだろう。パソコンのように部品間のインターフェースのみを共通化し、バラバラに開発された部品を自由に組み合わせて製品を作るモジュラー型の重要性が増したのだ。これらは、自動車のように部品や素材の適合性を摺り合わせながら製品に仕上げていくインテグラル型製品と違って、長期雇用や企業間の長期関係を前提とした日本企業のモノづくりと相性の良いものではない。この分野では、米国や台湾・中国の企業がベンチャーやEMS(Electronics Manufacturing Service)を自由に活用しながら優位性を高めて行った。もちろん、自動車や資本財などインテグラル型の製品も残り、日本企業の優位性が維持されてきたが、そこにも変化が訪れようとしている・・・。
 ・・・新たなイノベーションの波は、日本企業の優位性を掘り崩す芽を含んでいることにも注意する必要がある。その1つは、さらなるモジュラー化の進展である。かつては「パソコン等と違ってAV機器は摺り合わせの要素が大きい」などという楽観論もあったのだが、薄型テレビがあっと言う間にモジュラー化してしまったのは周知のとおりだ。現在の主戦場は自動車であり、それは今後のエコカーの主流が何になるかで大きく左右される。ハイブリッド車(HV)であればガソリン車の骨格は維持されるし、燃料電池車(FCV)であっても大きくは変わらない。しかし、電気自動車(EV)が中心になれば、自動車も家電製品のようにモジュラー化し、日本のメーカーが長年にわたって培ってきた摺り合わせ型メカの技術は大部分陳腐化してしまうと言われる。だからこそ日本メーカーはトヨタを先頭にFCVの開発に注力しているのだが、世界的にはやはりEV優勢との見方が多い』

 冒頭で紹介した井上も、”自動車会社が消える日”(2017年11月、文藝春秋)において、次のように書いています。

『家電業界に新規参入した英国メーカーのダイソンは、人工知能と家電を融合させて、ロボット掃除機などユニークな商品を出し続けている。デザインも斬新ことから市場での存在感も高い。日本の多くの家電メーカーが没落したのとは対照的だ。
 同じことが自動車産業でも起きる可能性がある。自動車だけは安泰だ、日本の「お家芸」だ、と思い込んでいる方もいるかもしれない。しかし、そうした「神話」は崩れつつある。このままだと日本の自動車産業は、新しく参入してきたIT企業をはじめとする異業種に産業界の「主役」の地位を奪われてしまう可能性があるのだ。
 ・・・これまで自動車会社は「自動車産業」という巨大ピラミッドの頂点に君臨してきたが、その構図も変わる可能性がある。いま海外では、技術力を持ち、企業規模も巨大な「メガサプライヤー」といわれる総合部品メーカーが台頭しているからだ』

 一方、100年に一度と言われる創造的破壊の大波に立ち向かわなければならない我が国の自動車産業を取り巻く経営環境はどうなっているか、考えてみましょう。
 これまで日本の自動車メーカーは、ピラミッド型に形成された前近代的な下請構造を利用して「原価の低減」を図り、競争を勝ち抜いてきました。下請企業の売上げは、発注メーカーにとっては費用(コスト)です。換言すれば、下請企業の売上げを極限まで削ることによって、発注メーカーは競争力と収益を確保してきたのです。
 中部圏社会経済研究所で研究部長を務める島澤諭は、10月21日に配信された記事”アトキンソン氏に反論する-日本の生産性低迷は大企業の問題だ”において、生産性の低い中小企業の削減を主張するデービッド・アトキンソンに対し、具体的なデータを示しながら次のように述べています。
https://news.yahoo.co.jp/byline/shimasawamanabu/20201021-00203988/

『・・・確かに、中小企業では真の生産性改善があるにもかかわらず、全体としてみた生産性はマイナスとなっています。これは、売上高の低迷・減少の影響が大きいと言わざるを得ません。
 したがって、日本の生産性の問題は、中小企業の問題というよりは、わが国の下請けや中間搾取の構造問題であり、こうした問題にメスを入れない限り、真の生産性改善を実践している中小企業が飛躍する機会が得られず、逆に、アトキンソン氏の主張通りに、真の生産性改善を実現している中小企業を整理淘汰するのは、日本経済の土台を切り崩し、弱体化させるだけといえます。
 もう少し具体的に言えば、中小企業の売上高低迷の原因は、大企業が、デフレや新興国企業の勃興による国際競争力の低下などによる需要(=売上高)減少に直面した際、付加価値向上による真の生産性改善ではなく、人件費削減(雇用削減)や下請け企業による納入価格の切り下げなどによって生産コストを引き下げ、少ない売り上げでも利益を出す仕組みを構築したことによる影響も指摘できますし、さらに言えば、短期利益を追求する株主の利益を最優先する姿勢があった可能性も指摘できるでしょう。
 このように、日本の生産性低迷は、中小企業の問題ではなく、大企業の問題なのです』

 今、日本の自動車産業を支えてきたピラミッド型の下請構造は崩壊しつつあります。もう限界なのです。ピラミッドの底辺で苦闘を続けてきた家族経営の零細企業の多くは、これ以上のコストカット要求には応えられず廃業を余儀なくされています。廃業ラッシュは零細企業から第3次下請へ、第3次下請から第2次下請へ、そして第1次下請へと波及していき、いずれは頂点に位置する完成品メーカーを呑み込んでいくでしょう。
 日本の製造業の最後の砦ともいえる自動車産業が衰退すれば、冒頭で紹介した記事の最後で井上が述べているように、

トヨタのお膝元の愛知県、日産の関連工場が多い神奈川県、ホンダやスバルの関連企業が多い埼玉県や群馬県などは、長年自動車産業の恩恵を受けてきた。そうした地域が、荒廃したアメリカ中西部の工業地帯のように「ラストベルト(さびついた地帯)」と呼ばれ、日本経済の地盤沈下を招く日が間もなくやってくるかもしれない』

 のです。そうなれば日本社会は更に衰退していきます。
 司馬遼太郎は代表作の一つである”坂の上の雲"を

『まことに小さな国が、開花期をむかえようとしている』

 という印象的な一文ではじめていますが、明治維新から150年余の歳月を経て、日本社会は再び「小さな国」に還ろうとしているのかもしれません。