善福寺日乗

ある職業的散歩者の日記

労働法のない世界

 東洋経済ONLINEは8月1日、”個人請負で「予期せぬ事態」に直面する根本理由 - あらゆる業種に広がっている「無権利状態」”という特集記事を配信しました。実際には被用者と同じ仕事をしているにもかかわらず、業務委託契約や請負契約などに基づいて働く人たちが急増している実態を、宅配ドライバーやホテルの支配人、キャバクラ嬢などを取り上げながら報じています。

 “働き方改革の「抜け道」になるおそれ - あらゆる業種に広がる「無権利状態」”

premium.toyokeizai.net

 “「安さ」の裏にある過酷な労働実態 - スーパーホテル、名ばかり「支配人」の悲惨”

premium.toyokeizai.net

 “キャバクラの知られざる「労働搾取」”

premium.toyokeizai.net


 “労災保険料は配達員が「全額自己負担」の是非 - ウーバーイーツ「急拡大」で問われる企業責任”

premium.toyokeizai.net

 この問題は今に始まったことではありません。要宏輝(元連合大阪副会長、元大阪府労働委員会労働者委員)は、”新しい社会政策の課題と挑戦 第2巻 ワークフェア - 排除から包摂へ?”(2007年11月、埋橋孝文 編、法律文化社)に収録された”究極のコスト・パフォーマンス=「雇用のない経営」 - 拡がる「労働法のない世界」”において、財界労務部といわれた日経連(2002年、日本経団連に統合)が1990年代以降、「雇用のない経営」として労働者派遣、業務請負アウトソーシング、個人下請け・委託労働者(インディペンデント・コントラクター)化を推し進めてきた狙いを、以下のように述べています。

『・・・こうした、働き手たちを「非正社員」「非労働者」に切り替える流れは、2001年4月の小泉政権発足後に加速する。 「非労働者」的労働者といった概念は一種の形容矛盾であるが、こうした労働者が、「人件費の安い海外勢と競争しながら、日本国内でものづくりを続けるには不可欠の存在」(大手幹部)になった(“分裂にっぽん②”2006年9月5日、朝日新聞)。しかし、このような「非労働者化」された労働者や下請は欧米には存在しない。日本の大企業の強い競争力の背景には、このようなハンディキャップが付いているのだ』

 彼はまた、職業安定法の改正、労働者派遣法の制定と派遣業種の拡大などにより、戦後改革がもたらした間接雇用禁止の五原則(①直接雇用の原則、②同一価値労働・同一賃金の原則、③労働条件の対等決定の原則、④団結権保障の原則、⑤賃金の中間搾取禁止の原則)が空洞化させられていることを批判しています。
 
 2021年5月16日の投稿"大西洋しか知らない田舎者”でも紹介したように、山田久(日本総合研究所)は、”デフレ反転の成長戦略 - 「値下げ・賃下げの罠」からどう脱却するか”(2010年7月、東洋経済新報社)において、1990年代に入って競争力を高めてきた新興国とのコスト競争が激化したことで、日本企業は各既存事業分野で体力を消耗する低価格競争を繰り広げた結果、「低価格競争➡︎人件費削減➡︎低価格志向化➡︎低価格競争➡︎人件費削減・・・」というスパイラルに陥り、これがデフレをもたらしている主張しており、現在では多くの支持を得ています。
 また山田は、コロナ禍が深刻化しつつあった2020年3月13日に配信されたインタビュー記事”賃上げは労働者のためならず、企業がメリットを受けるものだ”において、以下のように述べています。

premium.toyokeizai.net

『──かねてから、賃上げの必要性を主張されています。

 ・・・2008年のリーマンショックのときに、輸出主導型経済の日本、スウェーデン、ドイツは輸出の大幅減で実質GDP国内総生産)がマイナスになりました。ところが、スウェーデンは2年、ドイツは3年で、GDPがショック前の水準に戻ったのに、日本は5年もかかった。欧州の国々では賃上げを続けたことにより個人消費の落ち込みを防いだ一方、日本は賃金の水準を切り下げたことで、消費も大きく落ち込んでしまったからです。一時的なショックに対する過度な悲観が後まで悪影響を及ぼす「履歴効果」が大きく働いた。こうした事態が再び起きるのを避けるために、政府も今こそ賃上げを要請すべきです。

──主要先進国の中では日本が突出して賃金水準が低く、中国やアジアにも抜かれつつあると。

 賃金が継続的に上昇するのは当たり前のことで、上がらない日本の経済は異常なんです。低賃金の中国やアジアとコスト競争をしているから賃上げできない、と言う経営者がいますが、これは10年前の発想でしょう。

──「賃上げ」について最も伝えたいメッセージは?

 賃金を上げることは労働者のためだと考える人が多いのですが、実は、企業のためです。賃下げで労働者に我慢してもらい、商品の価格を抑えて消費者に買ってもらうというやり方は「経営」とは呼べない。今の時代、変化のスピードが速くなり、グローバルな競争が激しくなっている。事業構造を変え、付加価値を上げていくことが経営です。そして、そのためには賃金を上げていって、労働者のモチベーションを高くして、チャレンジしてもらわないといけない・・・。

──賃金が上がらない要因は労使関係にあるとしていますね。

 日本の労働組合は企業内組合なので、企業の生産性向上に協力してきました。成長期にはそれがうまくいきましたが、バブル崩壊で、「賃金より雇用」を優先した結果、賃上げ要求が弱くなっていった。また、中小企業ではそもそも賃金表がなく労働組合もないところが多い。日本の労使関係の特異性が賃金の上がらない要因です。今では企業の財務体質は大幅に改善しており、支払い能力は十分にある企業が多いはずです』

 いまや雇用の劣化は人口動態にも大きな影を落とすまでに至りました。国立社会保障・人口問題研究所によれば、非正規雇用者数が増加を始めた1990年頃から、50歳時の未婚割合は増加の一途をたどっており、2035年には男性で29.0%、女性でも19.2%になるものと推計されています。

         [男性]     [女性]
     1990年   5.6%       4.3%
     1995年   9.0%                     5.1%
     2000年       12.6%                    5.8%
     2005年       16.0%                    7.3%
     2010年        20.1%                  10.6%
     2015年        23.4%                  14.1%
     2020年        26.6%                 17.8%
     2025年        27.4%                  18.9%
     2030年        27.6%                  18.8%
     2035年        29.0%                 19.2%

 第2次安倍政権が発足してから3週間後の2013年1月16日に日本経済新聞が配信した記事”「アベノミクス」影響注視 中韓など警戒強める - 円安で輸出競争激化、余剰マネー流入”の中に、次のような一節があります。

www.nikkei.com

『・・・シンガポール経済紙ビジネスタイムズは年初に掲載した東京発の解説記事で「アベノミクスは日本の抱える根本的な問題を解決するわけではない」と論評した。
「日本経済をめぐる最大のニュースは昨年に過去最大の21万人も人口が減少した事実だ」と指摘。労働人口の減少を補うために「移民受け入れの是非が議論になるべきなのに先の総選挙では与野党ともに素通りした」。アベノミクスで景気が一時的に盛り上がったとしても「日本の若者が子供を産む気になるとはとても思えない」と皮肉っている』

 ビジネスタイムズ紙の予測は的中します。リフレ派の実験は失敗に終わり、出生率も上向きませんでした。金融政策で辛酸を舐めた安倍政権は、次第に財政政策や所得・雇用政策の重要性に着目するようになりました。
 2020年4月(中小企業にあっては2021年4月)から施行されたパートタイム・有期雇用労働法は、非正規雇用労働者の待遇改善を目的にしたもので、終身雇用・年功序列賃金を基本とするメンバーシップ型雇用システムから脱却し、同一労働・同一賃金を基本とするジョブ型雇用システムへの転換を展望した画期的な試みですが、これを台無しにする「労働法のない世界」の拡大は、何としても阻止しなければなりません。具体的にはハローワークの職業紹介事業を原則廃止し、その予算・人員を労働基準監督署の方面担当部門にふり向けるなどの大胆な制度改革が必要だと考えています。
 最低賃金の引き上げも中断させてはなりません。この7月、中央最低賃金審議会小委員会において日本商工会議所全国中小企業団体中央会の委員が反対したことが報じられましたが、この点についてはデービッド・アトキンソン(“最低賃金「引上げ反対派」が知らない世界の常識 - 専門家のコンセンサス「雇用への影響はない」”)を支持したいと思います。

toyokeizai.net

 また、6月27日に日本経済新聞が報じたオンライン労組が、企業内労働組合の桎梏を打破してくれるのではないかと期待しているところです。

www.nikkei.com