善福寺日乗

ある職業的散歩者の日記

William R. White の警告

 大手不動産開発会社・中国恒大集団のデフォルトに関する記事が連日ニュースサイトを賑わせていますが、Bloombergが9月18日に配信した”アシュモアやブラックロック、中国恒大の債券を大量に保有”という記事を目にして、William R. Whiteの警告を思い出しました。

https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2021-09-17/QZL7VYT0AFB701

 国際決済銀行の理事やOECD経済開発レビュー委員会の議長などを務めたWilliam R. Whiteは2016年1月、英国のThe Telegraph紙が配信したインタビュー記事”World face wave of epic debt defaults ,fears central bank veteran”(日本では2016年2月にMONEY VOICEが”OECD要人「現状は2007年より悪い」- まもなく再来する世界経済危機シナリオ”というタイトルで配信)において、次のように述べています。

すでに欧州の銀行群は1T$(1兆ドル)の不良債権を抱え込んでいるからだ。それらの不良債権は、新興国市場関連のものであり、ほとんどをロールオーバーして誤魔化しているので、顕在化していないだけなのだ』

『主要中央銀行がリーマン危機後に量的緩和とゼロ金利でばら撒いた刺激策のコストゼロのマネーがアジアやその他の新興市場に流れて、信用バブルを膨張させてしまった。その結果どうなったかと言えば、主要中央銀行は泥沼にはまり込み、新興国でも公的債務+私的債務はGDPの185%、OECD加盟国ではGDPの265%になってしまい、2007年から見て35%(ポイントで)も増えてしまっている。リーマン危機後、新興国市場は景気回復の牽引役となったが、もう今ではその新興国経済自体が問題となっている』

 そしてインタビュアーはWhiteの警告を以下のように総括しました。

リーマンショックよりも大きな雪崩が来る。量的緩和の繰り返し、そして異次元緩和で債務が膨張した結果、債務不履行の大雪崩が来る。秩序ある大雪崩などはなく、対策はもうない。頼みの綱であった牽引機関車役の中国、新興国自体が危ないからだ。となると借金棒引きしかなく、それは投資家、預金客が負担するしかない』

www.mag2.com

 1972年以来、カナダ銀行(カナダの中央銀行)を皮切りに国際決済銀行OECDなどでキャリアを積んだWhiteは、1996年のジャクソンホール会議において、当時「マエストロ」と崇められていたグリーンスパンFRB議長の緩和的な金融政策を批判し、2005年の会議で袋叩きにされたRaghuram G. Rajanほどではありませんでしたが、信者たちからの猛攻撃に遭いました。

 ドイツのThe Market紙が2020年11月16日に配信したインタビュー記事”Central Banks Keep Shooting Themselves in the Foot”は、Whiteの立脚点を分かりやすく示しています。

themarket.ch

 まずWhiteは、1990年代以降、各国の中央銀行が低インフレに対処するために超緩和的な金融政策を続けていることに対して異議を唱えます。低インフレないしデフレは、改革開放政策により中国が世界の工場へと成長したことやソビエト圏の崩壊などにより、何億人もの労働者が資本主義市場に参入してきたことによるpositive supply shocksがもたらしたbenign(良性)のものであり、中央銀行が憂慮すべきものではなかったという基本認識を示します。また、戦前には良性のデフレをテーマとする多くの著作があったとも述べています。

 ところが、亡くなったVolcker元FRB議長が繰り返し述べていたように、そもそもインフレ率を計測することは容易なことではないにもかかわらず、各国の中央銀行が小数点以下のわずかな偏差に拘泥して超緩和的な金融政策を推し進めた結果、サブプライムローン問題に端を発する世界金融危機の手痛い教訓にもかかわらず、家計や企業の負債は増大しつづけており、金融システムをより不安定なものにしていると批判しています。

 そして次のようにつづけます。

 “In 2008, the ratio of global household, corporate and government debt to GDP was 280%. Early 2020, this ratio had grown to 330%. And it’s not just the quantity of that debt, it’s the quality. Most of the new corporate debt is BBB-rated, covenant light, low quality stuff. The reason for that is the ultra easy monetary policy we have seen post-2008.”

 アンダーライン部は、covenant lightという文言から、2013年以降に急拡大を続け、次の世界金融危機の引き金になるのではないかと危惧されているレバレッジド・ローンやレバレッジド・ローンを裏付け資産として発行される証券化商品CLOを指しているものと思われます(ただし、レバレッジド・ローンの格付けはBB +以下なので、記事にある”BBB-rated”は”below BBB-rated”を意味すると解釈しました。というのも伊豆久の"レバ・ローンは第二のサブプライムか?"によれば、この5年ほどレバレッジド・ローンとは対照的に、ハイ・イールド債は減少し続けているからです)。

https://www.jsri.or.jp/publish/report/pdf/1715/1715_03.pdf?fbclid=IwAR0gxmyrnVZ-K8IsXcJ5mDr9NAzuIZGiEUbigQCQS29xIKOO4dE-ue94IT4

 日銀審議委員を務めた木内登英(野村総研)によれば、レバレッジド・ローン市場は『長引く異例の低金利の中で、投資家が過度のリスクをとった代表的な市場の一つ』であり、『レバレッジドローン市場が金融危機の引き金を引くかどうかは分からないが、経済、金融情勢が悪化する局面では、それを増幅するアクセレーターの役割を果たしてしまうのではないか』と危惧しています。また『昨年(2018年)、イエレン前FRB議長は、「景気が悪化すれば、レバレッジドローンの負債が原因で経営破綻する企業が相次ぐだろう」、「これにより景気が一段と悪化する」と強く警鐘を鳴らしている』とも述べています。

 

www.nri.com

 

 また、FSB(Financial Stability Board:金融安定理事会)も、2019年12月に公表した報告書”レバレッジドローン及びCLOに関する脆弱性”において懸念を表明しています。

https://www.jsri.or.jp/publish/topics/pdf/2001_03.pdf

 

 中国恒大集団のデフォルトをトリガーとして中国をはじめとする新興国に流れ込んでいた資金の回収に懸念が生じれば、やがて懸念は疑心暗鬼や恐怖へと転化して先進諸国にも襲いかかるでしょう。レバレッジドローン市場やCLO市場、ジャンク債市場はもとより、株式市場や債券市場においても投げ売りが始まるかもしれません。ミンスキーの瞬間(Minsky moment)の到来です。

 いうまでもなく、Wall StreetのパニックはMain Streetをも呑み込んでいきます。しかし、Whiteが述べるように、かつて牽引機関車役を果たした中国をはじめとする新興国が当てにできない状況のもとで、実体経済はどこまで収縮していくのか、見当すらつきません。

 米国のみならず中国経済にも深く組み込まれている日本経済は、未曾有の暴風雨にさらされます。しかし、日銀はもう何もできません。武器がないからです。財政が出動することになるでしょう。輪転機が焼き切れるまで国債を刷って財源を確保し、職を失った人々の群れに対処することを余儀なくされます。

 では国債の償還をどうするのか。

 Whiteは抜かりなく回答を用意してくれていました。インフレタックスです。 

https://www.imes.boj.or.jp/research/papers/japanese/kk29-4-4.pdf

極限的な状況 においては、政府の支払い能力にも疑問が投げかけられ、問題解決のために紙幣を乱発する誘因を抑制しえなくなりうる。予期されないインフレのみがこうした効果を持つため、必要となるインフレ率の上昇は極めて大きなものになりうる』(P54参照)