善福寺日乗

ある職業的散歩者の日記

消防士のいない夏に

 この春、ポール・ボルカーアラン・グリーンスパンベン・バーナンキという3人のFRB議長経験者の回顧録に続いて、ティモシー・ガイトナーの”ガイトナー回顧録金融危機の真相”(2015年8月、日本経済新聞出版社)を読む機会がありました。
 サブプライムローン問題に端を発する世界金融危機(2007年〜2010年)当時、ニューヨーク連邦準備銀行総裁、のちに第75代財務長官として危機対応の最前線で戦ったガイトナーは、ウォール街のモラルハザートを助長したなど、危機が収束したのちに様々な批判を浴びることになりましたが、バーナンキやポールソン(第74代財務長官)などと共に世界恐慌の再来をすんでのところで防ぎました。 
 Main Street(実体経済、普通の暮らし)を守るため、強欲に支配されたWall Street(金融セクター)を救済しなければならなかったジレンマについて、彼は書いています。

『・・・そこにパラドックスがある。私たちが経験したような容赦のない金融危機では、筋が通っているように見える行動 - 銀行を破綻させ、債権者に損失を吸収させ、政府予算を均衡させ、モラル・ハザードを避けること - は、危機を激化させるだけだ。そして、危機を和らげるのに必要な方策は、不可解で不公平に見える』

 もしモラルハザード原理主義にもとづいてウォール街を救済しなかったとしたら、何が起こっていたか。フランクリン・ルーズベルト政権のもとで財務長官を務めたヘンリー・モーゲンソー・ジュニアが1944年7月、ブレトンウッズ協定が成立した際におこなったスピーチが示唆してくれます。

『我々全員がこの時代の大いなる悲劇を目の当たりにしました。1930年代に起きた世界的な恐慌を。そして通貨体制の混乱が次から次へと伝播し、国際的な貿易と投資の基盤を破壊し、世界の信頼まで打ち砕いていく様子を。その結果としてもたらされた失業と困窮、使われなくなった工具や富が荒廃してゆく光景を我々は見てきました。犠牲者たちがあちこちでデマゴーグや独裁者の餌食になり、うろたえと苦しみがファシズムを育み、ついに戦争を招き入れるのを我々は目撃したのです』
(“ボルカー回顧録 - 健全な金融、良き政府を求めて”からの抜粋。2019年10月、日本経済新聞出版社)

 ガイトナー回顧録を読んで最も印象に残ったのは、世界金融危機が過去のものになりつつあった2011年1月に撮られた1枚の写真でした。1990年代にSARS北京オリンピック、広東金融危機などをさばき、「頼れる男」「消火隊長」と呼ばれた王岐山(第11代中華人民共和国副主席)に対し、ガイトナーニューヨーク市消防局のヘルメットを贈呈しているシーンが写っているもので、俺も世界金融危機の火消しをやってのけたのだというガイトナーの矜持が画面全体から滲み出てくるようなショットです。
 ワシントンD.C.コンサルタント会社であるキッシンジャー・アソシエイツで3年を過ごした後、政治任用ではなく職業公務員としてキャリアをスタートさせた若き日のガイトナーは、財務省国際貿易局の上司ウイリアム・バレダから学んだ「①正しいことに集中しろ」「②上司たちには本当のことを言え」「③政治は理解しなければならないが、是々非々で最善の政策を編み出す手順を、政治に阻害されてはならない」「④自分たちの仕事が世界に影響を及ぼすことを、絶対に忘れない」という4つの教えを心に刻み、ローレンス・サマーズに見出され昇進を続けた後も、忠実に守りました。
 ピュリツァー賞を二度受賞したウォール・ストリート・ジャーナルの経済担当エディター、デイビッド・ウェッセルは、”バーナンキは正しかったか? FRBの真相”(2010年4月、朝日新聞出版)において、ガイトナーの人となりを伝えるエピソードを紹介しています。

ガイトナーの外見があまりにも若かったので、ウォール街の銀行家たちに必要に応じて「ノー」と言うだけの強さがあるか不安に思ったと、ピーターソン(注 ; ニューヨーク連銀の理事長。ニューヨーク連銀の総裁選定に関与していた)は後に語ることになる。彼はサマーズに電話した。穏やかな語り口と謙虚さが、即、勇気と欠如を意味するわけではないことを確認したかったからだ。・・・「ラリー(サマーズ)に私の懸念を伝えると、彼は噴き出した。そしてこう言ったんだ - その心配はないよ、ピート。私が一緒に働いたことのある人間の中で、私の部屋にずかずか入ってきて、”ラリー、この件ですが、あなたの言っていることはたわごとばかりじゃないですか”と言うやつは、彼だけだったよ」』

 世界経済が破局の淵に立ったときに、1990年代のメキシコ金融危機やアジア金融危機に際してアメリカ政府の対応の中心部分にかかわった経験も持つガイトナーがニューヨーク連銀総裁だったことは、幸運以外の何物でもなかったと言えるでしょう。ウェッセルは続けます。

『(慣例によりFOMCの副議長を務めることになったニューヨーク連銀総裁のガイトナーは)・・・バーナンキに忠実ではあるが、ごますりではない意見を述べた。優れた状況把握能力と選択肢を提示する能力によって、彼は他の・・・尊敬を徐々に獲得していき、バーナンキに対してだけではなくポールソン財務長官に対しても最も影響力のある助言者の一人になった』

 今、この写真を眺めながら、なぜ我々の社会はガイトナーのような消防士を育てることができなかったのかを考えているのですが、やはり職業公務員制度、特にキャリア官僚の任用・昇進システムに欠陥があるように思えてなりません。
 例えば、東京五輪パラリンピック組織委員会事務総長を務める武藤敏郎は、財務事務次官日本銀行副総裁などを歴任し、キャリア官僚として頂点を極めた俊英の一人ですが、仔細にみると、その経歴のほとんどを大蔵省という閉鎖的な村社会で過ごし、長老たちから「少しは外の空気も吸ってきたらどうだ」とでも言われたのか、米国大使館や地方自治体などに物見遊山がてら出向した経験はあるものの、どう考えてもコロナ禍のもとで開催されるオリンピックを統括できる能力を培ってきたとは思えません。おそらくは事務総長を補佐している現役官僚たちにしても似たりよったりでしょう。
 また、若き日のガイトナーが心に刻んだ「①正しいことに集中しろ」「②上司たちには本当のことを言え」「③政治は理解しなければならないが、是々非々で最善の政策を編み出す手順を、政治に阻害されてはならない」といった教えを、終身雇用制のもとで貫徹することは困難を極めることも忘れてはなりません。
 本来であれば、政治任用ポストである大臣や副大臣大臣政務官たちが終身雇用型職業公務員制度の短所をカバーすべきなのでしょうが、いまの政治家たちに大火事を消し止めるだけの知識や経験、使命感、そして不眠不休で働き続けるだけの気力・体力を期待することは到底できそうにありません。


 オリンピックの開会式まであとわずか、我々は消防士のいない夏を迎えようとしています。最後に、穏やかに秋を迎えることができることを祈って、Samuel Barberの名曲 ”Agnus Dei”をアップします。
 Agnus Dei, Qui tollis peccata mundi, Miserere nobis.
 (世の罪を除き給う神の子羊よ われらをあわれみ給え)
 Agnus Dei, Qui tollis peccata mundi, Dona nobis pacem.
 (世の罪を除き給う神の子羊よ われらに平安を与え給え)