善福寺日乗

ある職業的散歩者の日記

死んだ男

 一昨日、2回目のワクチン接種を受けたあと、疼痛と発熱にみまわれました。カロナール錠を服用し、YouTubeで音楽を聴きながら微睡むうちに、どういった巡り合わせなのか、ヘッドホンから流れてきたのは斉藤哲夫の”悩み多き者よ"。

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 そして、ほぼ半世紀ぶりに聴くメロディに触発されたのか、10代の終わりごろ頻りに口ずさんだ詩句が、だしぬけに脳裡を満たしたのでした。荒地派の詩人・鮎川信夫の”死んだ男”です。

 

たとえば霧や
あらゆる階段の跫音のなかから、
遺言執行人が、ぼんやりと姿を現す。
──これがすべての始まりである。

遠い昨日・・・
ぼくらは暗い酒場の椅子のうえで、
ゆがんだ顔をもてあましたり
手紙の封筒を裏返すようなことがあった。
「実際は、影も、形もない?」
──死にそこなってみれば、たしかにそのとおりであった

Mよ、昨日のひややかな青空が
剃刀の刃にいつまでも残っているね。
だがぼくは、何時何処で
きみを見失ったのか忘れてしまったよ。
短かかった黄金時代──
活字の置き換えや神様ごっこ──
「それが、ぼくたちの古い処方箋だった」と呟いて・・・

いつも季節は秋だった、昨日も今日も、
「淋しさの中に落葉がふる」
その声は人影へ、そして街へ、
黒い鉛の道を歩みつづけてきたのだった。

埋葬の日は、言葉もなく
立会う者もなかった、
憤激も、悲哀も、不平の柔弱な椅子もなかった。
空にむかって眼をあげ
きみはただ重たい靴のなかに足をつっこんで静かに横わったのだ。
「さよなら。太陽も海も信ずるに足りない」
Mよ、地下に眠るMよ、
きみの胸の傷口は今でもまだ痛むか。

 

 同時に、宙ぶらりんであることからくる漠とした不安や、ふわふわした解放感、あるいは根拠のない馬鹿げた自負といったものをもて余していた当時の精神状態も甦ってきました。いつかは”アントワーヌ・ブロワイエ”のような物語を書きたい - そんなことが唯一の望みだった頃のことです。