善福寺日乗

ある職業的散歩者の日記

王たちの憂鬱な夏

 かつてPIMCOを率いて債券王の称号をほしいままにしたビル・グロースは昨年9月、『米国債はごみ』だと指摘しました。『米連邦準備理事会(FRB)の資産購入の減額(テーパリング)が2022年半ばにかけて進み、10年債利回りは今後1年で2%以上に上昇(価格は下落)する』と予言しました。そしてその予言は半年もたたないうちに成就してしまいました(5月12日現在、2.9%台)。

 また、グロースから債券王の称号を継承した米投資会社ダブルライン・キャピタルのジェフリー・ガンドラックCEOは昨年12月上旬、FRBが資産購入のテーパリングと利上げに向かえば、パンデミックの下で膨張した債務の借入コストの上昇が成長の逆風になると主張し、リスク資産の先行きをを占う「炭鉱のカナリア」、ハイイールド債から目を離さないよう警告を発しました。具体的には、米国2年国債利回りが1%を上回るようなことがあれば、問題が生じると指摘しました。

 米国の金利が上昇すれば、他の資産クラスに先駆けてジャンク債が苦境に陥るというわけですが、悲しいことに米国2年国債利回りは今年1月17日には1.0%ラインを突破し、5月12日現在、2.6%台に達しています。炭鉱のカナリアは死んでしまったのです。

 ガンドラックがいうように、苦境に陥るのは債券市場だけではなく、あらゆるリスク資産と考えるべきでしょう。

 小林俊と中山興(ともに日本銀行)は”リスク資産間のクロス・アセット相関の高まり” (2013年4月、日銀レビュー)において、2008年の世界金融危機以降、マクロ的な不確実性が高まる局面において、株式、社債コモディティという代表的なリスク資産間の相関度が高まっていることを明らかにしました。つまり、債券市場が崩壊すれば、株式市場や商品市場も道連れになるというわけです。

https://www.boj.or.jp/research/wps_rev/rev_2013/data/rev13j03.pdf

 クロス・アセット相関の高まりは、小林たちが指摘した2008年の世界金融危機や2011年の欧州ソブリン危機以降も、テーパータントラム(当時のバーナンキFRB議長が「雇用市場の改善が継続し、持続可能と確信すれば、向こう数回の会合で資産買入れ縮小が可能に」と発言したことで、世界的に株価が急落、為替相場も不安定化した出来事)が起こった2013年やFRB金利引き上げを進めていた2018年などにも観察されています。

 相関度が高まる要因について、小林たちは次のように述べています。

リーマン・ショック後、足もとにかけては、「異例の危機時対応」として世界的に金融緩和が 強力に推し進められた結果として、中央銀行のバランスシートが大きく膨張した。これは、金融資産を中央銀行が受け入れて、市場金利の低下を促すと同時に、金利に織り込まれるべきリスク情報を中央銀行がある程度摘み取っている、換言すれば、中央銀行にリスクが移転されていることを意味する。この結果、金利に織り込まれるべき個別のリスク要因を反映した固有ファクターの影響度が小さくなり、相対的にマクロファクターの影響度が高まることを通じて、リスク資産間の相関が一段と押し上げられている可能性が考えられる

 「マクロファクターの影響度が高まること」が、政策金利の引き上げや中央銀行のバランスシート縮小を意味することは言うまでもありません。消費者物価指数の高止まりを背景にFRBが急速に引き締めを進めれば、あらゆる資産クラスが大きく動揺することになるでしょう。イーグル・アセット・マネジメントの債券ディレクター、ジェームズ・キャンプの言葉が、これから何が起こるかを暗示しています。

『今は資本市場で10年に一度の局面だ。クロスアセットのボラティリティーは信じ難いほど大きく、隠れる場所はどこにもない』

 すでに株式市場は大きな調整局面に突入していますが、債券市場においても動揺が広がっています。

 3月16日と4月22日のBloombergは、ジャンク債だけでなく、金利が上昇する局面でもプロテクションを提供する商品として人気があった変動金利レバレッジドローンやCLOからも逃避が始まっていることを報じました。遠くない将来、金融商品化が進んだコモディティの市場も激震に見舞われるでしょう。

 

"レバレッジドローンの大人気、完全に終わった-欧州の戦争で状況一変"

https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2022-03-16/R8TF90DWRGG001?srnd=cojp-v2

 

"ウォール街レバレッジドローン今は好まず-金利上昇で慎重姿勢に"

https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2022-04-22/RAPTW1T1UM1201?srnd=cojp-v2

 

 さて、ここで素朴な疑問が浮かんできます。暗号資産や不動産など他のリスク資産は大丈夫なのでしょうか。

 暗号資産については、Business Insider Japanが5月10日、オマハの賢人ウォーレン・バフェットの言葉を伝えています。

もしあなたが世界中のすべてのビットコインを所有していて、それらを25ドルで譲ると言っても、私はそれを受け取らない。なぜなら、それで何ができるのか。私は結局、あなたに売り戻さなければならないだろう。何の役にも立たないのだから

https://www.businessinsider.jp/post-253849


 元イングランド銀行総裁のマーヴィン・キングは、”錬金術の終わり”(2017年5月25日、日本経済新聞出版社)において、貨幣が備えるべき2つの基準について次のように語っていますが、暗号資産がいずれの基準も満たしていない現状では、バフェットの言葉を老いぼれの戯言として片付けるわけにはいかないかもしれません。

『子どもたちは・・・お金がどんな形をとろうと、次の2つの基準を満たさなければならないことを学ぶ。第一に、貨幣は、誰かから「モノ」を買いたいと思ったときに、誰にでも受け取ってもらえなければいけない(一般受容性の基準)。そして第二に、将来の取引におけるその価値を妥当に予測できなければいけない(安定性の基準)』

 不動産市場については語るまでもありません。低金利と金余りを背景にバブルは膨らみきっており、金融政策の巻き戻しにより、破裂するのは時間の問題といえるでしょう。

 かつて日本は、バブル崩壊にともなって商業地の地価が87%下落するなど、1989年当時のGDP3年分の国富を失いました。しかし、日本を除く世界経済が健全だったことが幸いして、世界恐慌時のような惨禍を回避することができました。2008年の世界金融危機では中国が牽引車となり、世界経済を回復の軌道に引き戻してくれました。では今回、世界経済を破局の淵から引き上げてくれる救世主はどこにいるのか。これといった目星もつかないまま、夏がやってきます。