善福寺日乗

ある職業的散歩者の日記

大西洋しか知らない田舎者

 3月上旬、溶連菌感染症のため一週間余り寝込んでからというもの、ものごとを突きつめて考えることや文章にまとめる気力がすっかり萎えてしまいました。しまいにはノートをとりながら読書することすら億劫になってくる始末で、これが老いというものか、と嘆息ばかり漏らしていたのですが、タイトルすら忘れていた一冊が、モチベーションを蘇らせてくれました。ニューヨーク・タイムズの記者デイヴィッド・ハルバースタムの名著”The Best and the Brightest”(1972年)です。
 サイマル出版会による邦訳が1976年に出た直後、大学生協の書籍部に平積みされているのを手に取り、「卒業の目処がついたら読もう」と自身にいい聞かせたにもかかわらず、卒業間際まで単位の取得に追われていたこともあって、ついつい読まずじまいになってしまい、その存在すら忘れていたのですが、たまたま読んだ軽部謙介(時事通信社)の”検証バブル失政 - エリートたちはなぜ誤ったのか”(2015年9月、岩波書店)の最後で、

『日本の「ベスト&ブライテスト」の頂点に立ったものが不明を恥じるほど事態は予見不可能だったのか。あるいは、日本の「ベスト&ブライテスト」は事態をの展開を予見できなくても頂点に立てる程度のものなのか。この問いが、これからも繰り返される可能性は小さくない』

 という一節に出くわしたのをきっかけに、45年ごしの宿題をようやく片づけた次第です。

 マクジョージ・バンディ(ハーバード大学教養学部長などを経て国家安全保障担当大統領補佐官)、ロバート・マクナマラ(フォード社長などを経て国防長官)、ディーン・ラスク(ロツクフェラー財団理事長をへて国務長官)など、ケネディが集めジョンソンが受け継いだ「最良にして最も聡明な」人材が、どのようにしてアメリカをベトナムの泥沼へと引きずり込んでいったのかを、ハルバースタムは綿密な取材にもとづいて丹念に描出していますが、朝日新聞社版に寄せられた浅野 輔(翻訳家、TBSニュースコープのキャスターも務めた)の手になる”訳者あとがき”(1999年7月)も秀逸です。

『(ベスト&ブライテストは)いずれもアメリカ社会の中・上流家庭に生まれ、優れた教育環境で育ち、あるいは神童として畏れられ、あるいはローズ奨学生としてイギリスに学び、アメリカの知的エリートを形成する人びとであった。ケネディ政権の発足がとくに青年層、知識層を含む多くのアメリカ人の心を躍らせたのは、ニューフロンティアをきり拓くためにアメリカの英知が結集されたと感じられたからであった。
 だが、これらの「賢者」は、ベトナムの歴史的条件をまったく理解せず、自らの偏見に支配され、おのれの能力を過信し、アメリカの軍事的・経済的物量だけに頼り、史上稀にみる大破壊を行った「愚者」なのであった。
 ・・・彼らは、ベトナムアメリカの社会を理解していると思い込み、意のままにこれらを操作できると考えた点で、傲慢だった。アメリカの介入が、外国支配からの解放を決意している民族に向けられた植民地戦争であることに気づかず、また、アメリカ国民に対してこの戦争を売り込むことができると盲信したのだ。彼らの多くは東部のエリート大学出身であり、東部に根城をもつ知的エスタブリッシュメントのメンバーだったが、デイヴィッド・リースマンが評したように「大西洋しか知らない田舎者」なのであった』

 この一文を目にして以来、西欧・アメリカvs.東欧・ソ連という冷戦構造の枠組みでしかインドシナ半島を捉えようとしなかったベスト&ブライテストたちと同様、バブル崩壊以降、日本の金融政策に大きな影響力を与えつづけてきたクルーグマンをはじめとする主流派経済学の大立者たちもまた「大西洋しか知らない田舎者」であり、アベノミクスを推し進めてきたリフレ派の面々は、その田舎者の口車にのせられただけの「愚者」に過ぎないのではないかと考えるようになりました。
 早川英男(日本銀行富士通総研)も、前にもご紹介したレポート”MMT(現代貨幣理論) : その読解と批判”(2019年7月)の補論”米国主流派経済学者による財政重視論について”において、似たような感想を述べています。再掲します。

 『MMTを巡る論争の陰に隠れてやや目立たない印象はあるが、米国では最近になってサマーズ、クルーグマン、ブランシャールといった大物の主流派経済学者たちが(MMTは批判しながら)財政政策の重要性を訴えるようになっている。基本的には、数年前からのサマーズらによる「長期停滞論」を背景としつつ、自然利子率が低下して金融政策が有効性を失っている状況では、マクロ安定化政策として財政政策がより重要になっているとするものだ。・・・とくに、元MIT教授でIMFのチーフエコノミストをも務めたブランシャール氏が今年1月の全米経済学会の会長講演において、低金利環境下では財政政策を積極的に活用すべきだと訴えたことは多くの人々の注目を集めた。
 こうした米国主流派経済学者による財政重視論に対する筆者の率直な印象は、驚きと落胆であった。と言うのも、金融政策がゼロ金利制約に直面している(近づいている)時に、マクロ経済政策として財政政策が重要になるというのは、当たり前過ぎるからである(「流動性の罠」について学んだ後なら、学部1年生でもそう答えるだろう)。にもかかわらず20年前、彼らは日本に対して「ゼロ金利でも、量的緩和インフレ目標でデフレを克服できる」と主張していたのだ。
 その後、彼らが意見を180度変えた背景に大きな理論的イノベーションがあった様子はない。要は、20年前の米国はグリーンスパンFRB議長が「マエストロ」と呼ばれた時代で、金融政策の効果への過信(景気循環は終わったというgreat moderation論さえ拡がっていた)があった一方、現在はリーマン・ショック後の非伝統的金融緩和の効果が限定的だったという事実に学んだということだろう。現に、ブランシャール講演も大部分が「今後暫くは金利水準(r)が名目成長率(g)を下回る」という氏の予想、つまり環境変化の説明に当てられている。日本人エコノミストとしては、「彼らはいつも自国の環境だけを考えていて、日本の実情など眼中にない割に、政策提言だけは安易に打ち出してくる」という印象を持たざるを得ないだろう・・・』

 では早川のいう「日本の実情」とはなんなのでしょうか。”金融政策の「誤解」”(2016年7月、慶應義塾大学出版会)において早川は、二つの論点を提示しています。
 一つ目は賃金の低下です。早川は吉川洋(東京大学)の”デフレーション - 日本の慢性病の全貌を解明する”(2013年1月18日、日本経済新聞出版社)を取り上げ、1998年以降、先進諸国の中で日本だけで賃金の低下が続いており、これがデフレをもたらしていると述べています。この点については山田久(日本総合研究所)も、”デフレ反転の成長戦略 - 「値下げ・賃下げの罠」からどう脱却するか”(2010年7月、東洋経済新報社)において、1990年代に入って競争力を高めてきた新興国とのコスト競争が激化したことで、日本企業は各既存事業分野で体力を消耗する低価格競争を繰り広げた結果、「低価格競争➡︎人件費削減➡︎低価格志向化➡︎低価格競争➡︎人件費削減・・・」というスパイラルに陥り、これがデフレをもたらしてている主張しており、現在では多くの支持を得ています。
 二つ目の論点は日本的雇用=メンバーシップ型雇用の呪縛に関するものですが、内容が多岐にわたっているので、富士通総研のサイトにアップされている彼のオピニオンを参照してください。  

 注目したいのは、2000年代の早い時期から賃金の低下や日本的雇用がデフレの主因ではないかという見解が提示されていたにもかかわらず、日銀や大蔵省(財務省)、内閣などにおける政策立案過程で、正面から議論された形跡がないことです。より正確にいうと、日本のThe Best & the Brightestたちは所得政策や雇用政策について議論しなかっただけでなく、最善の戦略や制度を編み出すためのまっとうな議論すらしてこなかったのです。
 西野智彦(時事通信社、TBS)の”ドキュメント日銀漂流 - 試練と苦悩の四半世紀”(2020年11月、岩波書店)は、松下康雄から黒田東彦にいたる総裁の下における日銀の軌跡を、オーラルヒストリーを中心とする執拗ともいえる取材に基づいて明らかにした労作ですが、名目賃金の低下や終身雇用といった構造的な問題についての議論に関する記述は、まったくといってよいほど見当たりません。2002年12月に開催された経済財政諮問会議において「デフレはすぐれて貨幣的現象なので、対策の第一次手段は金融政策であって、構造改革や財政政策ではない」と主張した浜田宏一に代表されるリフレ派との論争やドル円レートの変動などに翻弄されるばかりでした。
 大蔵省(財務省)も褒められたものではありませんでした。夭逝した戸矢哲朗(大蔵省、経済産業研究所)の”金融ビックバンの政治経済学”(2003年2月、東洋経済新報社)は、指導教官だった青木昌彦(スタンフォード大など)のゲーム理論に基づき、大蔵省や自民党などの主要アクターの軌跡を分析した力作ですが、彼が描き出したのは、危機を乗り切るための戦略の構築よりも組織の存続を優先させる高級官僚たちの姿でした。
 内閣については語るまでもありません。「人口の減少とデフレを結びつけて考える人がいますが、私はその考えはとりません。デフレは貨幣現象ですから。金融政策においてそれは変えてゆくことができる」と言って胸を張った安倍晋三がそれを象徴しています。
 クルーグマンやそのエピゴーネン浜田宏一などの浅薄な主張を鵜呑みにする形で、アベノミクスの第一幕は切って落とされましたが、結果は惨憺たるものでした。
 ニューヨーク連邦準備銀行総裁やオバマ政権の財務長官として国際金融危機の火消し役となったティム・ガイトナーの”ガイトナー回顧録 - 金融危機の真相”(2015年8月、日本経済新聞出版社)に、次のような一文があります。主流派経済学の重鎮たちが、いかに頼りにならないか、頼りにしてはいけないかを如実に示すエピソードです。

『(2008年)4月27日に大統領は、ポール・クルーグマン、ジェフ(ジェフリー)・サックス、ジョセフ・スティグリッツなどの批判派を含めた一流経済学者数人をホワイト・ハウスの晩餐会に招いた。私たちの戦略を大統領は自分の秘蔵っ子だと力説して話をはじめた。「みなさんの意見を聞きたいと思う」大統領は一同にいった。「ティム(ガイトナー)が何を考えているか、みなさんはすでに知っているね」そしてひとりひとりに発言するよう促した。私たちの計画は弱々しく、野心的でない。ゾンビ銀行向けの解決策だ。金融システムに対して気前がよすぎる。その代わりに何をやるよう提案するのかと、大統領がひとりひとりにきくと、ホワイトハウス内と同じ反応の外部版を目の当たりにした。懸念と批判を山ほどと、ごく少数の案。だが、実行可能な案、問題を引き起こさないような案は、ひとつもなかった

 2016年、安倍政権はようやく働き方改革(=所得・雇用政策)に本腰を入れるようになりましたが、その成果が現れる前にパンデミックが襲来してしまいました。2020年4月から施行されたパートタイム・有期雇用労働法が嚆矢となって、北欧型の雇用システムは日本に根づくのか、根づかせようとした場合に何がボトルネックとなるのか。日本社会が復活するためには、この点について徹底した議論が求められていると思います。