善福寺日乗

ある職業的散歩者の日記

斥候(ものみ)よ夜はなお長きや

 教養学部の構内にあった学生寮で懶惰な留年生活を送っていた1974年のある日、ふたりの同級生と暮らしていた30畳ほどの部屋に、見知らぬ来客がありました。きけば30年ほど昔の住人とのことで、壁という壁を埋めつくす落書きを眺めまわしたあと、「さすがに残っていないか、ももの落書き」とポツリ。14才から18才までの5年間を怒れる少年たちの一員として過ごした者にとって、いいだももはアイドルも同然の存在でしたので、この呟きを耳にしたあとのわれわれが、初老の闖入者を丁重にもてなしたことは言うまでもありません。

 日本経済新聞は8月5日、”市場は偽りの夜明けか - ボルカー型ショックに備えを”という記事を配信し、6月中旬以降、日米の株式市場に楽観的な空気が戻ってきていることに対し、警告を発しました。

 この記事を読んで、リーマンショックのあった翌年の2009年3月、バーナンキFRB議長が「green shoots」(景気回復の芽)という言葉を使ったのを受けて、日銀総裁を務めていた白川方明が翌月、Japan Societyにおける講演で、「偽りの夜明け」(false dawn)というキーワードを使って、本格的な回復には長い時間がかかると警告していたことを思い出しました(”中央銀行 - セントラルバンカーの経験した39年”(2018年10月25日、東洋経済新報社)のp283~p234を参照)。

 同時に、いいだももの処女作のタイトル”斥候よ夜はなお長きや”(196611日、芳賀書店)が脳裡をよぎったのでした。というのも、米国の株価や国債(金利は下落)、日本の株価、円ドルレートは、6月中旬を底に反転していますが、これは終わりの始まりにすぎないのではないか。つまり夜明けどころか、我々はまだ黄昏を迎えたばかりで、株式、債権、不動産、暗号資産、コモディティ等のリスク資産の夜はこれからが本番なのではないか、という思いが拭いきれないでいたからです。

 

 同じ8月5日、隻眼孤高の投資家マイケル・バーリも「コロナ禍でなじみの愚かさは、まだ死んでいない」とツイッターに投稿しました。

 また、ラリー・サマーズやジェフリー・ガンドラッグをはじめとして、超緩和的な金融・財政政策への反動が深刻な景気後退をもたらすと警告する論者は枚挙に暇がありませんが、仮に彼らの予想が的中することになれば、超緩和的な金融・財政政策の先頭を突っ走ってきた日本社会は、どの国・地域よりも過酷な代償の支払いを求められることになるでしょう。

 しかし、それでも日本社会が滅亡するわけではありませんし、希望がなくなるわけでもありません。次回からの投稿では、1980年代以降、日本社会に何が起こったのか、そしてこれから何が起ころうとしているかについての与太話を披露したいと考えています。

 

 最後に、日本銀行に勤務したこともあるという寮の先住者が遺した一文を紹介したいと思います。

『21世紀は希望の世紀か? しかり、 希望の世紀だ。21世紀は希望の世紀でなければならない。私たちがそうしなければならない』

”<主体>の世界遍歴 - 八千年の人類文明はどこへ行くか“ (いいだもも、2005年、藤原書店)