善福寺日乗

ある職業的散歩者の日記

Lost Century (5)二重構造論ふたたび

 1970年代の後半から1990年代はじめにかけて、中小・零細企業や非正規雇用の労働者たちのルサンチマンをよそに、日本的経営とその中核をなす日本型生産システムや日本型雇用システムを礼賛する論調が、内外で高まりを見せました(ただし、ニクソンショックや第1次オイルショックを契機に、輸出の主役は、労働集約的な繊維産業やエネルギー多消費型の鉄鋼・造船産業から自動車、電気機器、一般機械などの加工組立産業へと移っていたことに留意してください。つまり、”日本型生産システム”とは、日本の産業全体に共通するものではなく、輸出産業の花形に躍りでた加工組立産業の生産システム、換言すればピラミッド型に構築された階層的な下請構造がつくりだす低賃金を意識的に利用し、かつ景気変動に対する調整弁とするシステムだったのです)。
 アンドルー・ゴードン(ハーバード大学)は彼の代表作”日本労使関係史 1853 -2010”(2012年8月、岩波書店)で、次のように述べています。
『・・・経営学者の伊丹敬之(注:一橋大学)は、日本型の企業経営を「人本主義企業システム」と呼び、これを「日本文明の企業的側面」であるとし、その優位性を宣言している。彼は、「日本の長い繁栄を考えるのなら、いささか大げさで気はずかしい話だが、文明を輸出することを意識して考えるべき時期にきているのではないか」とも主張している。日本の生産技術、物づくりの力は世界一だと主張する唐津一(注:電電公社松下電器東海大学など)もこの意見にすすんで賛意を表し、工業分野における「日本での実験データを詳細に分析し、世界の人々に公開したいのである。・・・・ヨーロッパ的発想の原点のひとつであるデカルトに噛みつくぐらいのことをしなくてはならない」と語っている』
 二人の発言はともに日本社会がバブルの頂点に向けて駆けあがりつつあった1986年のものですが、日本社会が長期的な衰退局面に突入したことが誰の目にも明らかになったのちも、日本的経営や日本型生産システム、日本的ものづくりへの信仰は残りました。
 以下は唐津が上梓した著書のタイトルです。”ものづくり大国・日本”という共同幻想がいかに根強いものだったかが窺えます。
 “TQC日本の知恵”(1981年)
 “空洞化するアメリカ産業への直言”(1986年)
 “知的生産大国への戦略 ”(1988年)
 “生産大国ニッポンの挑戦 製造業は必ず復権する”(1988年)
 “技術大国に孤立なし 日本の成功が、世界の常識を変える”(1990年)
 “日米技術連邦に敵なし 日米共存と世界の繁栄”(1992年)
 “日本的経営は死なず―迷走する日本産業への直言”(1993年)
 “産業空洞化幻想論―新技術で日はまた昇る”(1994年)
 “これから30年日本・陽は必ず昇る”(1997年)
 “唐津一の日本企業“発想の強さ"がわかる事典”(1997年)
 “日本経済の底力 物づくりの知恵が未来を拓く”(1997年)
 “アメリカはこれで大丈夫か その時日本が世界を救う”(1998年)
 “「ものづくり」は国家なり―日本・IT大国への道筋”(2000年)
 “中国は日本を追い抜けない!”(2004年)
 “日本のものづくりは世界一・マスコミにもの申す”(2006年)
 唐津の脳裏からは、下請の中小企業や零細企業で働く労働者、あるいは非正規雇用の労働者といった縁辺労働者の低賃金こそが加工組立産業の国際競争力の源だったのではないかという問題意識がスッポリと抜け落ちていたため、90年代以降の日本社会が直面している課題を把握することができず、空虚なスローガンをヒステリックに復唱することに終始します。
 ”日本経営史 5.高度成長を超えて”(岩波書店、1995年12月)の第7章を、”共同幻想としての日本型システムの出現と終焉”という刺激的なタイトルで執筆した米倉誠一郎(一橋大学)も、そのタイトルとは裏腹に、ニクソンショックと2次にわたるオイルショックの克服に貢献した日本型経営システム(終身雇用・年功賃金などの雇用システム/従業員主体のコーポレイト・ガバナンス/系列融資と株式持合/系列化された下請構造)を肯定的に評価するばかりで、それが内包していた病巣、すなわち中小・零細企業の労動者や非正規雇用労働者などの低賃金、あるいは大企業・中堅企業で働く正規労働者たちの長時間労働や会社人間化などについての認識が欠落しているため、最終節において経営パラダイムの転換や広範な構造改革の必要性を訴えてはいるものの、学生が書いたレポートレベルの空疎な内容に終始せざるをえませんでした。
 似たような論述は枚挙にいとまがありません。玄田有史(東京大学)が、”二重構造論 -「再考」"(2011年4月、日本労働研究雑誌No.609)において指摘した「二重構造というタブー」が、日本社会が直面している課題を覆い隠してしまっているため、誰も有効な処方箋を描けずにいるように思えてなりません。
 例えば、マイケル・ポーター(ハーバード大学)と竹内弘高(一橋大学)は、日本経済の再生に向けた戦略を論じた”日本の競争戦略”(2000年4月、ダイヤモンド社)において、日本の国際競争力と産業政策との関連について考察し、産業政策がほとんど行われなかった自動車やエレクトロニクス、カメラ、家電が国際競争力を持ち、逆に保護・規制のあった銀行・保険、食品産業では弱い国際競争力しか持てないことを指摘しています。しかし、これにしても産業政策の有無という側面からではなく、二重構造 - より精確にいうと、ピラミッド型に系列化された下請中小企業や零細企業など働く縁辺労働者の低賃金 - を利用できる産業だったかどうかという側面からアプローチしていれば、見当違いの戦略提言は避けられたはずです。
 この4月に日本学士院賞を受賞した神林龍(一橋大学)の”正規の世界・非正規の世界”(慶應義塾大学出版会、2017年11月)は、「非正規労働者の増加」の対偶が「正規労働者の減少」ではなく「インフォーマル・セクター(自営業・家族従業者)の減少」であることを実証したといわれる一冊ですが、労働市場を正規労働者、非正規労働者、インフォーマル・セクターという3つのカテゴリー分類に基づいて分析しているため、なぜインフォーマル・セクターが衰退し続けているのか、その原因を究明できずに終わっています。
 神林は2018年5月に開催されたセミナーにおいて、「同じ正規でも、中小企業の正規と大企業の正規ではかなり色合いが違うのではないか」という質問に対して、次のように答えています。
『こういう研究をするときには1つのカテゴリーを前提として考えているので、大企業と中小企業との差があることはもちろん今後考えていかなければならないと思っています。解雇権濫用法理の適用範囲についても労働契約法で定められているので、中小企業だからといって除外されるわけではありません。
 なぜ中小企業で解雇権濫用法理が適用されていないかのように見えるかというと、誰も訴えないからです。訴えないということは、首を切られた人が不公正だと思っていないのです。あとは、バックペイで決着がついている場合です。不公正だと思う人が裁判に出てくるので、中小企業の場合は、解雇があったとしても紛争として表に出てくる比率は小さいといえます。
 中小企業の場合、大企業と違って紛争が起こりにくいのは、職場が小さいので情報共有が非常に早いという点もあると思います。1970〜1980年代に解雇事件が起こった企業をインタビューすると、大抵の場合、30〜40人の中小企業で、なぜか意見の相違があります。典型例が営業職と製造職の間です。営業は自社の製品が売れていないことを分かっていても、製造は在庫はわからず毎日ひたすら作っているだけです。だから、「俺たちは残業しているのに、売れていないとはどういうことだ」ということになり、何か情報の齟齬があれば紛争が起こってしまうのです。中小企業の場合、大企業に比べてそういうことが起こりにくいので、紛争になる余地があまりなかったと考えています』
 『訴えないということは、首を切られた人が不公正だと思っていない』のだと神林が本当に信じているのだとすれば、「二重構造というタブー」が、中小企業や零細企業における雇用の実態から、無意識のうちに目を背けさせているのではないかと勘ぐりたくなってしまいます。
 プラザ合意のあと日本の加工組立産業が海外直接投資を加速させたことにより「国内完結」のピラミッド型下請構造が衰退したこと、ベルリンの壁の崩壊により社会主義諸国の安価な労働力と下請構造の底辺にある中小・零細企業やインフォーマル・セクターが競合するに至ったことなどを踏まえたアプローチなくして、縁辺労働や貧困の拡大再生産、地方の衰退をくい止めるための戦略は描けない、そう確信しています。
 なお、第3次産業における低賃金縁辺労働者の激増については、製造業とは異なったアプローチが必要であることは承知していますが、製造業の場合と同様、問題の根底には労働市場の二重構造が横たわっていると考えています。

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 アップした写真は2007年6月、かつて遊郭があった足立区千住柳町で撮ったものです。大都市圏には低賃金労働者の巨大なプールがあり、今なおブラックホールのように人々を引き寄せ続けている。そんなふうに感じています。