善福寺日乗

ある職業的散歩者の日記

Lost Century (6)待機する日本

 1943年8月、シモーヌ・ヴェイユは亡命先の英国で客死しましたが、食事を摂ることを拒絶して死の床に横たわる彼女の脳裏に、11年前に目にした情景が去来していただろうことは想像に難くありません。
 リセの哲学科教授だったヴェィユは、1932年、23歳の夏をドイツで過ごしました。そこで彼女が目のあたりしたのは、第一次世界大戦の賠償と世界恐慌により生産指数が1928年の55%まで低下し、労働人口の44%が失業者という惨状であり、破局が待ち構えているかもしれないと予感しながらも、ヒトラーに自らの運命を託しつつある人々の姿でした。
 コミンテルンに支配された官僚的な指導部のもと、支離滅裂な運動に終始していたドイツ共産党はさておき、強力な組織力を誇っていた社会民主党はどうしていたのか。彼らはその支持基盤である労働組合、つまり職を失わなかった労働者たちの組織防衛に奔走するばかりで、失業者や廃業を余儀なくされつつある自営業者たちは見捨てられたのでした。
 フランスに戻って書いた”待機するドイツ”をはじめとする評論(1968年、春秋社、シモーヌ・ヴェーユ著作集1に収録)のなかで、彼女は述べています。
『・・・改良主義組合官僚は生産機構を手中に握りつづけている。労働者は反抗するが、組合官僚は思いどおりのことをしている。組合官僚の望むところは何であろうか? その事務所を保持することである。何に役立つかは考えもせずに組織を保持することである。・・・ところであの組合官僚の言のように資本主義にとって欠くべからざるものとなっているこれらの組織を脅かしている危険とは、いかなるものであろうか? それは内戦である。労働者の蜂起は組織掃討をまず呼び起こし、ヒトラー武装隊の攻撃が組織を壊滅させることになるだろう。したがって問題は尖鋭な形の階級闘争を避け・・・いかなる妥協にも応じて平和を保つことにある。坊主ども(注;組合幹部)はおそらくファシズム体制を受け入れるのを恐れないだろう。社会主義とは国家資本主義にほかならないと考える人々にとって、ファシズムのうちにある国家資本主義的施策が「社会主義の一片」と思われやすいだけに、なおさら恐怖はなかろう』
 ヴェイユの危惧は現実のものとなりました。ドイツのルター派牧師であり反ナチ運動組織”告白教会”の指導者だったマルティン・ニーメラーの言葉が、ファシズムとの妥協がどのような結末をもたらしたかを端的に物語っています。
ナチスコミュニストを弾圧した時,私は不安に駆られたが,自分はコミュニストではなかったので何の行動も起こさなかった。つぎにナチスはソーシャリスト(社会主義者労働組合員)を弾圧した。私はさらに不安を感じたが,自分はソーシャリストではないので何の抗議もしなかった。ついで学校が、新聞が,ユダヤ人などが攻撃された。そのたびに私の不安は増大したが,それでも私は行動しなかった。ある日ついにナチスは教会を弾圧してきた。そして私は牧師だった。だから行動に立ち上がったが,その時はすべてがあまりにも遅すぎた』
(注;ニーメラーの言葉にはいくつかのバージョンがあります。詳しくはWikiを参照してください)

 その後の歴史はご存知のとおりです。計画経済政策や軍備増強、人種差別主義と表裏一体となった民族主義などを標榜するナチスドイツは、凄絶な破局へと突っ走ることになりました。
 1990年代以降、日本経済は長期的な衰退期に入りました。”日本経営史 5.高度成長を超えて”(岩波書店、1995年12月)の第1章”概説 1955年−90年代”を担当した森川英正(慶應大学)は、その原因を次のように総括しています。
『1955年以降の35年間、激化する国際・国内競争と産業環境のライフサイクル的変化に対して、日本企業はきわめて成功裡に対応してきた。繊維、鉱山、造船、鉄鋼等の諸産業でまず大型設備投資により国際競争優位を築き、それらの優位を次々と失う間に、ユニークなスキル・ネットワークをベースに育んだ精密加工技術を駆使して、数々の加工組立産業における覇権を獲得した・・・しかし、日本企業は新しい転換点に立たされている・・・ところが、この重要な転換点を日本企業はうまく乗り切れないでいる。産業ライフサイクルの新しい局面に適応しきれないままである。汎用品型加工組立産業における国際競争優位を新興工業諸国の参入圧力の前にいつまでも保持し続ける見通しはなく、アメリカを凌駕しうる高付加価値産業はまだ育っていない』
 彼の懸念は的中します。日本経済を牽引してきた加工組立産業は、自動車産業を除いて、中国をはじめ韓国、台湾などに圧倒されるに至りました。
 そして今、日本経済の最後の砦ともいえる自動車産業にも危機が迫っています。その競争力の源泉だったアセンブラー(自動車メーカー)を頂点とするピラミッド型下請構造(森川のいう「ユニークなスキル・ネットワーク」)が役に立たない、100年に一度ともいわれる技術革新の波が押し寄せつつあります。CASE、つまり「Connected:コネクティッド化」「Autonomous:自動運転化」「Shared/Service:シェア・サービス化」「Electric:電動化」をキーワードとする大変革は、自動車産業の構造を根底的に変化させます。特に、内燃機関からトラクションモータへの転換は、かつての家電製品などと同様、自動車のコモディティ(汎用品)化をもたらすでしょう。
 日本電産代表取締役会長兼CEO・永守重信は2020年3月期決算発表の記者会見において、次のように述べています。
『欧州の自動車市場ではまだ戦いが始まったばかりで今後数年間が勝負だが、量を持ったところが勝つ。自動車メーカーが自社で駆動用モーターをやって勝てる時代ではない。価格競争になるだろう。そろそろ駆動用モーターが各社から出揃って実力が見えてくる時期だ・・・原油価格が下がってエンジン車が復活するか、燃料が安いのに電気自動車に誰が乗るか、という議論には参加しない。技術革新に投資し、ストライクゾーンにボールを投げなければならない。これから、自動車には価格競争の世界がくる。シェア4番手では大赤字になるような世界だ。完成品メーカーが全員勝ち組とは限らない。サプライヤーとして、負け組のメーカーに納入したらアウトだ』
 また社長執行役員(COO)に就任した日産自動車出身の関潤は、電動化の進展に伴って駆動用モーターは「サプライヤーから完成品を購入する」傾向が強まるとの展望をのべていますが、ここで注意したいのは、駆動用モーターがトラクションモーターとインバーター、変速機を一体化したモジュールである点です。つまり、従来はアセンブラーの設計に基づいてサプライヤーが部品を供給していたのに対して、電気自動車ではサプライヤーが供給する汎用品に合わせてアセンブラーがパワートレインを設計する時代がやってくるのです。事実、同社は50kWから200kWまでをカバーする駆動用モジュールをラインナップしており、すでに中国の自動車メーカーを筆頭に、欧州の自動車メーカーからも多くの注文を受けていることを明らかにしています。
 日本自動車工業会によれば、2017年の自動車製造業の製造品出荷額等は前年より5.1%増の60兆6,999億円、全製造業の製造品出荷額等に占める自動車製造業の割合は19.0%、機械工業全体に占める割合は41.2%でした。2017年度の自動車製造の設備投資額は1兆2,902億円、2017年度の研究開発費は2兆9,296億円となり、ともに主要製造業において2割を超える割合を占めています。また、自動車輸出金額は16兆円、自動車関連産業の就業人口は546万人のぼります。このように自動車産業は、日本経済を支える重要な基幹産業としての地位を占めています。
 パワートレインの電動化により自動車がコモディティ化することになれば、低価格競争に巻き込まれる日本の自動車産業ないし日本経済は、壊滅的な打撃を被ることになるでしょう。そのとき1930年代のドイツと同じように、国家社会主義的な計画経済や軍備増強、人種差別主義と表裏一体となった民族主義を標榜する政治勢力が登場し、政権を奪取するのではないか。そんな問題意識から”待機する日本”というタイトルを掲げた次第です。
 一連の投稿を開始した1月の段階では、ヒトラーエピゴーネンが出現する時期を2025年ないし30年と想定していましたが、進行しつつあるパンデミックにより少し早まるかもしれません。
 いま日本型雇用システムのアウトサイダーである非正規雇用労働者や中小・零細企業の労働者たちの多くが職を失いつつあります。また、自営業者たちも生業を奪われつつあります。もちろん大企業や中堅企業の労働者、公務員などのインサイダーも無傷では済みません。日本社会は、1990年以降に推し進めてきた新自由主義的な政策の清算を、そして100年にわたって二重構造を放置し、それがもたらす低賃金を利用してきたツケの支払いを求められているのです。とてつもない利息を上乗せされて。

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 アップした写真は2007年6月、墨田区向島で撮ったものです。1947年から60年にわたって”鳩の街”に文化を届けてきたこの本屋さんも、この年の8月末に廃業してしまいました。