善福寺日乗

ある職業的散歩者の日記

集金人の到来

17〜8年ほど前、広告代理店からの依頼で、地方自治体の文化施設整備・運営や文化関連プログラムのあり方に関する原稿を書いたことがあります。
 人類が経験したことがない超高齢化社会が到来すれば、医療や社会福祉の分野で膨大な財政需要が発生する。人口の0.5%にも満たないクラシック音楽ファンのために本格的なコンサートホールを整備したとしても需要はないだろうし、よしんば使われたとしても演歌やポップスの興行がほとんどだろうから、これ以上つくるべきではない。また、貧弱なコレクションや史料しかないにもかかわらず、区市町村単位で美術館や博物館を設置することは、税金の無駄遣いに以外の何ものでもない。そんなお金があるのだったら、シャッター通りと化した商店街の空き店舗を借り上げてライブスペースやギャラリーを設置したり、廃校になった校舎を利用してアーティスト・イン・レジデンスなどのプログラムを展開するといったことに投入すべきである。そんな内容だったと記憶しています(もちろんネーミング・ライツの活用といった広告代理店のビジネスに結びつく提言も、さりげなく紛れこませていたのですが)。
 その小冊子のサブタイトルに選んだのが、ガルブレイスの古典的名著 ”ゆたかな社会” (1990年3月、岩波書店同時代ライブラリー)第13章の見出し『集金人の到来』です。欲望のおもむくままに借金を重ねていくと、やがて集金人がやってきて苦境に追い込まれる、という消費者が可処分所得の伸びを上回るペースで負債を増大させていくことの危険性を指摘したガルブレイスの警告は、地方財政にも当てはまると考えたからでした。

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 この警告は、地方自治体だけでなく一般政府(国の一般会計・非企業特別会計や事業団の一部から成る中央政府地方公共団体の普通会計・公営企業会計などから成る地方政府,および国の社会保障関係の特別会計などが含まれる社会保障基金)の財政にも敷衍できるでしょう。では、集金人はいつ、どんなきっかけでやってくるのでしょうか? この問いは、次のように言い換えることもできます ー 日本銀行による事実上の財政ファイナンス(中央銀行による国債引受け)は、いつまで続けることができるか?
 原真人(日経新聞朝日新聞)の“日本銀行「失敗の本質」”(2019年4月、小学館新書)のなかに、次のような一節があります。
『止められない異次元緩和をずっと続けたら、この先に何が待っているのだろうか ー 。元日銀研究所長の翁邦雄へのインタビューで私はこんな質問をした。翁は「何が起きるのか専門家でも十分に分かっていない」と言って、こう続けた。「ただし最悪のケースでは、円が暴落するのではないかと心配している」』
原は為替実務家の意見も紹介しています。
『・・・今日本が長期的に本当に心配しなければならないのは、翁が指摘するように「円暴落」リスクである。みずほ銀行国際為替部チーフマーケット・エコノミストの唐鎌大輔もこの見方に同意する。「日本が経常黒字のうちはいい。だが、高齢化が進めば、日本は何は経常赤字になっていくだろう。そのとき、円急落が始まる恐れがある』
 ここで素朴な疑問が湧いてきます。円安は日本の製造業にとって歓迎すべきことではなかったのか? 黒田日銀による量的・質的金融緩和政策の狙いが円安誘導にあったことは、よく知られています。翁は、”経済の大転換と日本銀行”(2015年3月、岩波書店)において、次のように書いています。
アベノミクスは、大胆な金融政策、機動的な財政政策、成長戦略の三つの要素(三本の矢)から構成されている、と説明され、一般にそのように理解されている。しかし、安倍氏の経済政策が順調に立ち上がったという印象を与えた最大の要素は、「三本の矢」ではなく、円安である。2012年11月15日の講演で、安倍氏自民党総裁(注:首相就任前)として、円高是正とデフレ脱却を同時に打ち出し、これに対し、為替市場が強く反応した』
 ではなぜ、本来なら歓迎すべき円安を憂慮するのでしょうか?
 その理由は、早川英男(日銀、富士通総研)が”金融政策の「誤解」ー壮大な実験の成果と限界” (2016年7月、慶應義塾大学出版会)で述べているように、円安にもかかわらず輸出はさっぱり伸びず、期待していた円安→輸出増加→鉱工業生産増加という好循環が生まれなかったことにあります。
『・・・大幅な円安にもかかわらず輸出がほとんど伸びなかった点は、経済学者・エコノミストの多数派にとっても大きなサプライズであった。(中略)この輸出の伸び悩みに関して、当初はJカーブに基づく効果発現の遅れを指摘する見方が多かったが、現在では①世界経済全体の回復しの鈍さに加え、②円安でも日本企業の海外生産拡大の流れは変わらないこと、③エレクトロニクス分野を中心に日本産業の競争力自体が衰えてしまったことなど、より構造的な要因を重視するのが一般的になっている』
 早川が挙げた3つの要因のうち、特に3番目の「エレクトロニクス分野を中心に日本産業の競争力自体が衰えてしまった」という点は注目に値します。
 日銀レビュー”実質実効為替レートについて”によれば、実効レート計算にあたって日本が占めるウエイトは90年代以降、米国だけでなくユーロ圏、中国、韓国においても大幅に低下しています。

https://www.boj.or.jp/rese.../wps_rev/rev_2011/rev11j01.htm/

 同時に、中国や韓国、タイなどとの輸出競合度(ESI)が急速に高まってきたことが分かります。実質実効為替レート指数が過去40年間で最低水準の超円安だったことを考え併せると、加工組立産業を中心とする日本製造業の衰退が、いかに凄まじいものだったかが見て取れます。

https://www.stat-search.boj.or.jp/.../fx180110002.html

 円安→輸出増加→鉱工業生産増加という好循環が成り立たなくなったからといって、円安のマイナス効果が緩和されることはありません。翁や唐鎌が危惧する円の暴落が起これば、エネルギーや食料の多くを輸入に頼る日本は、猛烈なコストプッシュ・インフレに見舞われるでしょう。集金人の到来です。
 いささか古いデータで恐縮ですが、河村小百合(日銀、日本総研)の”中央銀行は持ちこたえられるかー忍び寄る「経済敗戦」の足音”(2016年11月、集英社新書)によれば、2016年8月時点において日銀が保有する国債の加重平均利回りは0.4%に過ぎません。一方、異次元の量的緩和を行った結果、バランスシートの負債サイドの大半を占める日銀当座預金残高は303兆円に膨れあがっています。つまり、当座預金への付利を1%に引き上げるだけで、0.6%、金額にして1.8兆円強の逆鞘が発生します。4%の場合は10.9兆円(303兆円×0.036)、6%の場合は16.96兆円、10%の場合は29.08兆円です。2016年以降も当座預金残高は膨張を続けていますし、国債の残存期間の加重平均は7年超ですから、猛烈なコストプッシュ・インフレがもたらす日本経済へのマイナス・インパクトは計り知れません。日銀による財政ファイナンスが継続不能となり、財政破綻(デフォルト)に陥るのを避けるために、資本移動規制とセットになった金融抑圧の下でのインフレ容認(インフレタックス)といった悪夢のような政策が強行されるかもしれません。インフレ圧力の高まりに対してどのような対処法があり、どのような結末が待っているのかについては様々なシナリオが提示されていますので、いずれ整理してご紹介できればと考えています。
 では、集金人がドアをノックするのはいつなのでしょうか? ここからは与太話として読んで欲しいのですが、おそらく5年後ではないか、僕はそう考えています。
 まず、2025年までに団塊の世代全員が後期高齢者となりますが、これは経常収支に大きなマイナス圧力となります。次いで、超低金利政策の長期化は金融の安定を阻害すると考えるFRBが出口戦略を進め、日米の金利差が拡大、円安ドル高へと傾いていきます。そしてトドメは日本自動車産業の急速な衰退です。EV化の波に乗り遅れたことにより輸出が激減すれば、自動車産業が支えてきた貿易収支は赤字になり、自動車関連産業がもたらしてきた第一次所得収支の黒字も減少し始めます。そのとき円と日本国債への信認が一気に失われ、円の暴落と高インフレが襲いかかってくるーそれが2025年頃ではないか。そんなことを考えている今日この頃です。