善福寺日乗

ある職業的散歩者の日記

死んだ男

 一昨日、2回目のワクチン接種を受けたあと、疼痛と発熱にみまわれました。カロナール錠を服用し、YouTubeで音楽を聴きながら微睡むうちに、どういった巡り合わせなのか、ヘッドホンから流れてきたのは斉藤哲夫の”悩み多き者よ"。

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 そして、ほぼ半世紀ぶりに聴くメロディに触発されたのか、10代の終わりごろ頻りに口ずさんだ詩句が、だしぬけに脳裡を満たしたのでした。荒地派の詩人・鮎川信夫の”死んだ男”です。

 

たとえば霧や
あらゆる階段の跫音のなかから、
遺言執行人が、ぼんやりと姿を現す。
──これがすべての始まりである。

遠い昨日・・・
ぼくらは暗い酒場の椅子のうえで、
ゆがんだ顔をもてあましたり
手紙の封筒を裏返すようなことがあった。
「実際は、影も、形もない?」
──死にそこなってみれば、たしかにそのとおりであった

Mよ、昨日のひややかな青空が
剃刀の刃にいつまでも残っているね。
だがぼくは、何時何処で
きみを見失ったのか忘れてしまったよ。
短かかった黄金時代──
活字の置き換えや神様ごっこ──
「それが、ぼくたちの古い処方箋だった」と呟いて・・・

いつも季節は秋だった、昨日も今日も、
「淋しさの中に落葉がふる」
その声は人影へ、そして街へ、
黒い鉛の道を歩みつづけてきたのだった。

埋葬の日は、言葉もなく
立会う者もなかった、
憤激も、悲哀も、不平の柔弱な椅子もなかった。
空にむかって眼をあげ
きみはただ重たい靴のなかに足をつっこんで静かに横わったのだ。
「さよなら。太陽も海も信ずるに足りない」
Mよ、地下に眠るMよ、
きみの胸の傷口は今でもまだ痛むか。

 

 同時に、宙ぶらりんであることからくる漠とした不安や、ふわふわした解放感、あるいは根拠のない馬鹿げた自負といったものをもて余していた当時の精神状態も甦ってきました。いつかは”アントワーヌ・ブロワイエ”のような物語を書きたい - そんなことが唯一の望みだった頃のことです。

消防士のいない夏に

 この春、ポール・ボルカーアラン・グリーンスパンベン・バーナンキという3人のFRB議長経験者の回顧録に続いて、ティモシー・ガイトナーの”ガイトナー回顧録金融危機の真相”(2015年8月、日本経済新聞出版社)を読む機会がありました。
 サブプライムローン問題に端を発する世界金融危機(2007年〜2010年)当時、ニューヨーク連邦準備銀行総裁、のちに第75代財務長官として危機対応の最前線で戦ったガイトナーは、ウォール街のモラルハザートを助長したなど、危機が収束したのちに様々な批判を浴びることになりましたが、バーナンキやポールソン(第74代財務長官)などと共に世界恐慌の再来をすんでのところで防ぎました。 
 Main Street(実体経済、普通の暮らし)を守るため、強欲に支配されたWall Street(金融セクター)を救済しなければならなかったジレンマについて、彼は書いています。

『・・・そこにパラドックスがある。私たちが経験したような容赦のない金融危機では、筋が通っているように見える行動 - 銀行を破綻させ、債権者に損失を吸収させ、政府予算を均衡させ、モラル・ハザードを避けること - は、危機を激化させるだけだ。そして、危機を和らげるのに必要な方策は、不可解で不公平に見える』

 もしモラルハザード原理主義にもとづいてウォール街を救済しなかったとしたら、何が起こっていたか。フランクリン・ルーズベルト政権のもとで財務長官を務めたヘンリー・モーゲンソー・ジュニアが1944年7月、ブレトンウッズ協定が成立した際におこなったスピーチが示唆してくれます。

『我々全員がこの時代の大いなる悲劇を目の当たりにしました。1930年代に起きた世界的な恐慌を。そして通貨体制の混乱が次から次へと伝播し、国際的な貿易と投資の基盤を破壊し、世界の信頼まで打ち砕いていく様子を。その結果としてもたらされた失業と困窮、使われなくなった工具や富が荒廃してゆく光景を我々は見てきました。犠牲者たちがあちこちでデマゴーグや独裁者の餌食になり、うろたえと苦しみがファシズムを育み、ついに戦争を招き入れるのを我々は目撃したのです』
(“ボルカー回顧録 - 健全な金融、良き政府を求めて”からの抜粋。2019年10月、日本経済新聞出版社)

 ガイトナー回顧録を読んで最も印象に残ったのは、世界金融危機が過去のものになりつつあった2011年1月に撮られた1枚の写真でした。1990年代にSARS北京オリンピック、広東金融危機などをさばき、「頼れる男」「消火隊長」と呼ばれた王岐山(第11代中華人民共和国副主席)に対し、ガイトナーニューヨーク市消防局のヘルメットを贈呈しているシーンが写っているもので、俺も世界金融危機の火消しをやってのけたのだというガイトナーの矜持が画面全体から滲み出てくるようなショットです。
 ワシントンD.C.コンサルタント会社であるキッシンジャー・アソシエイツで3年を過ごした後、政治任用ではなく職業公務員としてキャリアをスタートさせた若き日のガイトナーは、財務省国際貿易局の上司ウイリアム・バレダから学んだ「①正しいことに集中しろ」「②上司たちには本当のことを言え」「③政治は理解しなければならないが、是々非々で最善の政策を編み出す手順を、政治に阻害されてはならない」「④自分たちの仕事が世界に影響を及ぼすことを、絶対に忘れない」という4つの教えを心に刻み、ローレンス・サマーズに見出され昇進を続けた後も、忠実に守りました。
 ピュリツァー賞を二度受賞したウォール・ストリート・ジャーナルの経済担当エディター、デイビッド・ウェッセルは、”バーナンキは正しかったか? FRBの真相”(2010年4月、朝日新聞出版)において、ガイトナーの人となりを伝えるエピソードを紹介しています。

ガイトナーの外見があまりにも若かったので、ウォール街の銀行家たちに必要に応じて「ノー」と言うだけの強さがあるか不安に思ったと、ピーターソン(注 ; ニューヨーク連銀の理事長。ニューヨーク連銀の総裁選定に関与していた)は後に語ることになる。彼はサマーズに電話した。穏やかな語り口と謙虚さが、即、勇気と欠如を意味するわけではないことを確認したかったからだ。・・・「ラリー(サマーズ)に私の懸念を伝えると、彼は噴き出した。そしてこう言ったんだ - その心配はないよ、ピート。私が一緒に働いたことのある人間の中で、私の部屋にずかずか入ってきて、”ラリー、この件ですが、あなたの言っていることはたわごとばかりじゃないですか”と言うやつは、彼だけだったよ」』

 世界経済が破局の淵に立ったときに、1990年代のメキシコ金融危機やアジア金融危機に際してアメリカ政府の対応の中心部分にかかわった経験も持つガイトナーがニューヨーク連銀総裁だったことは、幸運以外の何物でもなかったと言えるでしょう。ウェッセルは続けます。

『(慣例によりFOMCの副議長を務めることになったニューヨーク連銀総裁のガイトナーは)・・・バーナンキに忠実ではあるが、ごますりではない意見を述べた。優れた状況把握能力と選択肢を提示する能力によって、彼は他の・・・尊敬を徐々に獲得していき、バーナンキに対してだけではなくポールソン財務長官に対しても最も影響力のある助言者の一人になった』

 今、この写真を眺めながら、なぜ我々の社会はガイトナーのような消防士を育てることができなかったのかを考えているのですが、やはり職業公務員制度、特にキャリア官僚の任用・昇進システムに欠陥があるように思えてなりません。
 例えば、東京五輪パラリンピック組織委員会事務総長を務める武藤敏郎は、財務事務次官日本銀行副総裁などを歴任し、キャリア官僚として頂点を極めた俊英の一人ですが、仔細にみると、その経歴のほとんどを大蔵省という閉鎖的な村社会で過ごし、長老たちから「少しは外の空気も吸ってきたらどうだ」とでも言われたのか、米国大使館や地方自治体などに物見遊山がてら出向した経験はあるものの、どう考えてもコロナ禍のもとで開催されるオリンピックを統括できる能力を培ってきたとは思えません。おそらくは事務総長を補佐している現役官僚たちにしても似たりよったりでしょう。
 また、若き日のガイトナーが心に刻んだ「①正しいことに集中しろ」「②上司たちには本当のことを言え」「③政治は理解しなければならないが、是々非々で最善の政策を編み出す手順を、政治に阻害されてはならない」といった教えを、終身雇用制のもとで貫徹することは困難を極めることも忘れてはなりません。
 本来であれば、政治任用ポストである大臣や副大臣大臣政務官たちが終身雇用型職業公務員制度の短所をカバーすべきなのでしょうが、いまの政治家たちに大火事を消し止めるだけの知識や経験、使命感、そして不眠不休で働き続けるだけの気力・体力を期待することは到底できそうにありません。


 オリンピックの開会式まであとわずか、我々は消防士のいない夏を迎えようとしています。最後に、穏やかに秋を迎えることができることを祈って、Samuel Barberの名曲 ”Agnus Dei”をアップします。
 Agnus Dei, Qui tollis peccata mundi, Miserere nobis.
 (世の罪を除き給う神の子羊よ われらをあわれみ給え)
 Agnus Dei, Qui tollis peccata mundi, Dona nobis pacem.
 (世の罪を除き給う神の子羊よ われらに平安を与え給え)

 

On lâche rien 

 この30年ほど日本社会は苦境に喘いできましたが、近い将来、今日の苦境さえもが楽園に思えるほどの破局がやってくるのではないか。そのとき、かつてナチスがそうしたように、打ちのめされた人々のルサンチマンにつけ込む排外主義的な勢力が権力を奪取するのではないか - 安倍晋三の同志として知られる本田悦朗に関するThe WALL STREET JOURNALの記事(有料記事なので、下記のサイトを参照してください)を目にして以来、そんな思いを抱いてきました。 

「アベノミクスで強力な軍隊」内閣官房参与の本田悦朗氏が米紙に語る | ハフポスト

  危機感に駆り立てられ、そもそも長期的な衰退の根本的要因は何なのか、破局を回避するためにはどのような制度設計や政策の転換が必要なのか、それを実現するためにはどんな運動を構想すべきなのか、といったことを7年近く考え続けているにもかかわらず、焦燥だけが募るばかりで、いまなお見当すらつかない有様です。

 ときおり何もかもが面倒になり、もう働くこともやめて年金暮らしに入り、旅やトレッキングを楽しみながら残された時間を過ごしてもバチは当たらないのではないか。あるいは理屈っぽい本や数式まじりの小難しい論文に挑戦するのはもう諦めて、お気に入りの詩集や小説を肴にほろ酔い加減の余生を送るというのも悪くないかもしれないといった弱気にとらわれることもあるのですが、そんな時に聴くのがこの曲、HK & Les Saltimbanksが歌う”On lâche rien”(あきらめないぞ!)です。

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 そんなわけであと3年は老骨に鞭を打ちつつ頑張りたいと思いますので、呆れずにお付き合いください。

大西洋しか知らない田舎者

 3月上旬、溶連菌感染症のため一週間余り寝込んでからというもの、ものごとを突きつめて考えることや文章にまとめる気力がすっかり萎えてしまいました。しまいにはノートをとりながら読書することすら億劫になってくる始末で、これが老いというものか、と嘆息ばかり漏らしていたのですが、タイトルすら忘れていた一冊が、モチベーションを蘇らせてくれました。ニューヨーク・タイムズの記者デイヴィッド・ハルバースタムの名著”The Best and the Brightest”(1972年)です。
 サイマル出版会による邦訳が1976年に出た直後、大学生協の書籍部に平積みされているのを手に取り、「卒業の目処がついたら読もう」と自身にいい聞かせたにもかかわらず、卒業間際まで単位の取得に追われていたこともあって、ついつい読まずじまいになってしまい、その存在すら忘れていたのですが、たまたま読んだ軽部謙介(時事通信社)の”検証バブル失政 - エリートたちはなぜ誤ったのか”(2015年9月、岩波書店)の最後で、

『日本の「ベスト&ブライテスト」の頂点に立ったものが不明を恥じるほど事態は予見不可能だったのか。あるいは、日本の「ベスト&ブライテスト」は事態をの展開を予見できなくても頂点に立てる程度のものなのか。この問いが、これからも繰り返される可能性は小さくない』

 という一節に出くわしたのをきっかけに、45年ごしの宿題をようやく片づけた次第です。

 マクジョージ・バンディ(ハーバード大学教養学部長などを経て国家安全保障担当大統領補佐官)、ロバート・マクナマラ(フォード社長などを経て国防長官)、ディーン・ラスク(ロツクフェラー財団理事長をへて国務長官)など、ケネディが集めジョンソンが受け継いだ「最良にして最も聡明な」人材が、どのようにしてアメリカをベトナムの泥沼へと引きずり込んでいったのかを、ハルバースタムは綿密な取材にもとづいて丹念に描出していますが、朝日新聞社版に寄せられた浅野 輔(翻訳家、TBSニュースコープのキャスターも務めた)の手になる”訳者あとがき”(1999年7月)も秀逸です。

『(ベスト&ブライテストは)いずれもアメリカ社会の中・上流家庭に生まれ、優れた教育環境で育ち、あるいは神童として畏れられ、あるいはローズ奨学生としてイギリスに学び、アメリカの知的エリートを形成する人びとであった。ケネディ政権の発足がとくに青年層、知識層を含む多くのアメリカ人の心を躍らせたのは、ニューフロンティアをきり拓くためにアメリカの英知が結集されたと感じられたからであった。
 だが、これらの「賢者」は、ベトナムの歴史的条件をまったく理解せず、自らの偏見に支配され、おのれの能力を過信し、アメリカの軍事的・経済的物量だけに頼り、史上稀にみる大破壊を行った「愚者」なのであった。
 ・・・彼らは、ベトナムアメリカの社会を理解していると思い込み、意のままにこれらを操作できると考えた点で、傲慢だった。アメリカの介入が、外国支配からの解放を決意している民族に向けられた植民地戦争であることに気づかず、また、アメリカ国民に対してこの戦争を売り込むことができると盲信したのだ。彼らの多くは東部のエリート大学出身であり、東部に根城をもつ知的エスタブリッシュメントのメンバーだったが、デイヴィッド・リースマンが評したように「大西洋しか知らない田舎者」なのであった』

 この一文を目にして以来、西欧・アメリカvs.東欧・ソ連という冷戦構造の枠組みでしかインドシナ半島を捉えようとしなかったベスト&ブライテストたちと同様、バブル崩壊以降、日本の金融政策に大きな影響力を与えつづけてきたクルーグマンをはじめとする主流派経済学の大立者たちもまた「大西洋しか知らない田舎者」であり、アベノミクスを推し進めてきたリフレ派の面々は、その田舎者の口車にのせられただけの「愚者」に過ぎないのではないかと考えるようになりました。
 早川英男(日本銀行富士通総研)も、前にもご紹介したレポート”MMT(現代貨幣理論) : その読解と批判”(2019年7月)の補論”米国主流派経済学者による財政重視論について”において、似たような感想を述べています。再掲します。

 『MMTを巡る論争の陰に隠れてやや目立たない印象はあるが、米国では最近になってサマーズ、クルーグマン、ブランシャールといった大物の主流派経済学者たちが(MMTは批判しながら)財政政策の重要性を訴えるようになっている。基本的には、数年前からのサマーズらによる「長期停滞論」を背景としつつ、自然利子率が低下して金融政策が有効性を失っている状況では、マクロ安定化政策として財政政策がより重要になっているとするものだ。・・・とくに、元MIT教授でIMFのチーフエコノミストをも務めたブランシャール氏が今年1月の全米経済学会の会長講演において、低金利環境下では財政政策を積極的に活用すべきだと訴えたことは多くの人々の注目を集めた。
 こうした米国主流派経済学者による財政重視論に対する筆者の率直な印象は、驚きと落胆であった。と言うのも、金融政策がゼロ金利制約に直面している(近づいている)時に、マクロ経済政策として財政政策が重要になるというのは、当たり前過ぎるからである(「流動性の罠」について学んだ後なら、学部1年生でもそう答えるだろう)。にもかかわらず20年前、彼らは日本に対して「ゼロ金利でも、量的緩和インフレ目標でデフレを克服できる」と主張していたのだ。
 その後、彼らが意見を180度変えた背景に大きな理論的イノベーションがあった様子はない。要は、20年前の米国はグリーンスパンFRB議長が「マエストロ」と呼ばれた時代で、金融政策の効果への過信(景気循環は終わったというgreat moderation論さえ拡がっていた)があった一方、現在はリーマン・ショック後の非伝統的金融緩和の効果が限定的だったという事実に学んだということだろう。現に、ブランシャール講演も大部分が「今後暫くは金利水準(r)が名目成長率(g)を下回る」という氏の予想、つまり環境変化の説明に当てられている。日本人エコノミストとしては、「彼らはいつも自国の環境だけを考えていて、日本の実情など眼中にない割に、政策提言だけは安易に打ち出してくる」という印象を持たざるを得ないだろう・・・』

 では早川のいう「日本の実情」とはなんなのでしょうか。”金融政策の「誤解」”(2016年7月、慶應義塾大学出版会)において早川は、二つの論点を提示しています。
 一つ目は賃金の低下です。早川は吉川洋(東京大学)の”デフレーション - 日本の慢性病の全貌を解明する”(2013年1月18日、日本経済新聞出版社)を取り上げ、1998年以降、先進諸国の中で日本だけで賃金の低下が続いており、これがデフレをもたらしていると述べています。この点については山田久(日本総合研究所)も、”デフレ反転の成長戦略 - 「値下げ・賃下げの罠」からどう脱却するか”(2010年7月、東洋経済新報社)において、1990年代に入って競争力を高めてきた新興国とのコスト競争が激化したことで、日本企業は各既存事業分野で体力を消耗する低価格競争を繰り広げた結果、「低価格競争➡︎人件費削減➡︎低価格志向化➡︎低価格競争➡︎人件費削減・・・」というスパイラルに陥り、これがデフレをもたらしてている主張しており、現在では多くの支持を得ています。
 二つ目の論点は日本的雇用=メンバーシップ型雇用の呪縛に関するものですが、内容が多岐にわたっているので、富士通総研のサイトにアップされている彼のオピニオンを参照してください。  

 注目したいのは、2000年代の早い時期から賃金の低下や日本的雇用がデフレの主因ではないかという見解が提示されていたにもかかわらず、日銀や大蔵省(財務省)、内閣などにおける政策立案過程で、正面から議論された形跡がないことです。より正確にいうと、日本のThe Best & the Brightestたちは所得政策や雇用政策について議論しなかっただけでなく、最善の戦略や制度を編み出すためのまっとうな議論すらしてこなかったのです。
 西野智彦(時事通信社、TBS)の”ドキュメント日銀漂流 - 試練と苦悩の四半世紀”(2020年11月、岩波書店)は、松下康雄から黒田東彦にいたる総裁の下における日銀の軌跡を、オーラルヒストリーを中心とする執拗ともいえる取材に基づいて明らかにした労作ですが、名目賃金の低下や終身雇用といった構造的な問題についての議論に関する記述は、まったくといってよいほど見当たりません。2002年12月に開催された経済財政諮問会議において「デフレはすぐれて貨幣的現象なので、対策の第一次手段は金融政策であって、構造改革や財政政策ではない」と主張した浜田宏一に代表されるリフレ派との論争やドル円レートの変動などに翻弄されるばかりでした。
 大蔵省(財務省)も褒められたものではありませんでした。夭逝した戸矢哲朗(大蔵省、経済産業研究所)の”金融ビックバンの政治経済学”(2003年2月、東洋経済新報社)は、指導教官だった青木昌彦(スタンフォード大など)のゲーム理論に基づき、大蔵省や自民党などの主要アクターの軌跡を分析した力作ですが、彼が描き出したのは、危機を乗り切るための戦略の構築よりも組織の存続を優先させる高級官僚たちの姿でした。
 内閣については語るまでもありません。「人口の減少とデフレを結びつけて考える人がいますが、私はその考えはとりません。デフレは貨幣現象ですから。金融政策においてそれは変えてゆくことができる」と言って胸を張った安倍晋三がそれを象徴しています。
 クルーグマンやそのエピゴーネン浜田宏一などの浅薄な主張を鵜呑みにする形で、アベノミクスの第一幕は切って落とされましたが、結果は惨憺たるものでした。
 ニューヨーク連邦準備銀行総裁やオバマ政権の財務長官として国際金融危機の火消し役となったティム・ガイトナーの”ガイトナー回顧録 - 金融危機の真相”(2015年8月、日本経済新聞出版社)に、次のような一文があります。主流派経済学の重鎮たちが、いかに頼りにならないか、頼りにしてはいけないかを如実に示すエピソードです。

『(2008年)4月27日に大統領は、ポール・クルーグマン、ジェフ(ジェフリー)・サックス、ジョセフ・スティグリッツなどの批判派を含めた一流経済学者数人をホワイト・ハウスの晩餐会に招いた。私たちの戦略を大統領は自分の秘蔵っ子だと力説して話をはじめた。「みなさんの意見を聞きたいと思う」大統領は一同にいった。「ティム(ガイトナー)が何を考えているか、みなさんはすでに知っているね」そしてひとりひとりに発言するよう促した。私たちの計画は弱々しく、野心的でない。ゾンビ銀行向けの解決策だ。金融システムに対して気前がよすぎる。その代わりに何をやるよう提案するのかと、大統領がひとりひとりにきくと、ホワイトハウス内と同じ反応の外部版を目の当たりにした。懸念と批判を山ほどと、ごく少数の案。だが、実行可能な案、問題を引き起こさないような案は、ひとつもなかった

 2016年、安倍政権はようやく働き方改革(=所得・雇用政策)に本腰を入れるようになりましたが、その成果が現れる前にパンデミックが襲来してしまいました。2020年4月から施行されたパートタイム・有期雇用労働法が嚆矢となって、北欧型の雇用システムは日本に根づくのか、根づかせようとした場合に何がボトルネックとなるのか。日本社会が復活するためには、この点について徹底した議論が求められていると思います。

道と街

 汗ばむような陽気に恵まれた昨日、ほぼ10年ぶりに東向島や京島の街を歩いてきました。かつて撮った建物のほとんどは姿を消していましたが、曲がりくねった路地は健在で、心が躍りました。
 わが国初の近代的な都市計画である市区改正は、道路の改良をおもな目的としていました。もともと山がちな地勢であるため道の勾配がきつく河川も多いわが国の陸上交通は、もっぱら歩くことが基本で、牛車や大八車などごく一部の例外をのぞけば、幕末まで車輪の文化はありませんでした(なお、民俗学者宮本常一は、在来馬が小型で馬車を曳くのに適していなかったことも理由の一つにあげています。大量輸送手段として水運が発達していたことも影響しているかも知れません)。
 万延元年(1860年)、咸臨丸で太平洋をわたりサンフランシスコに上陸した福沢諭吉は、はじめて目にした馬車が動きはじめるまで、それが乗物であるとは気づかなかったという逸話が、当時の事情を物語っています。
 開国により輸入された車輪の文化は、またたくまに普及していくことになりますが、歩くことを前提につくられてきた従来の道に馬車を走らせることは困難で、ましてや都市交通の主役として注目されつつあった路面軌道(馬車鉄道や人車鉄道、のちの路面電車)に対応することはできません。都市改造の主眼が、いきおい道路の改良におかれることになった所以です。このとき形づくられたDNAが、日本の都市計画を大きく歪めることになったのではないか。つまり、子どもたちが外遊びできること、住民相互の紐帯を強くすること、あるいは商店街で安全に買い物できることといった街づくりに不可欠な要件を軽視し、ひたすら幅が広く真っすぐな街路をつくること、そのために区画整理などを押し進めることが都市計画のドグマとなり、かえって街を壊す結果を招来しているのではないか。市街地再開発事業区画整理事業が進められている街を歩くたびに、そんな思いが脳裡をよぎります。
 欧米に較べ火災に弱い木造家屋が多く、地震大国でもあるといった事情を勘案しても、だからといって真っすぐで幅の広い街路をつくりつづけることは、もう許されないと思うのです。

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 アップした写真は2007年8月13日、京島にあるキラキラ橘商店街で撮った一枚です。かつては女性も働き手となる家内工業が盛んだったこともあって、墨田区にはお惣菜屋さんが多かったのですが、そのほとんどは町工場と運命を共にしました。

奇妙なニュース

共同通信は昨日(2021年2月20日)、”EV普及で雇用30万人減も 部品減で、メーカー苦境”という記事を配信しました。

 

 ところが、『自動車がガソリン車から部品数の少ない電気自動車(EV)に切り替わることで、国内の部品メーカーの雇用が大きく減少する恐れがあることが20日、明らかになった』という一文で始まるこの記事には、奇妙なことに情報源が書かれていません。
 昨年11月の「(EV化によって)2030年に自動車の価格は現在の5分の1程度になるだろう」という日本電産代表取締役会長兼CEO・永守重信の発言からすると、30万人(自動車関連雇用の/10)で済むはずがないのでは? という疑問がつきまとうのはさておき、なぜ情報源を明らかにしなかったのかが気になっています。
 ちなみに、ドイツ連邦経済エネルギー省は、このまま次世代車へのシフトが進んだ場合、2050年までの間に製造・資材部門で19%、販売・整備部門で56%の雇用が失われるとの試算を公表しています。この変化率を日本に当てはめると、およそ83万人が失職する勘定になります(週刊エコノミスト2021年2月2日号P26〜P27)。
 気になっているといえば、ここのところEV用全固体電池についての記事が目につくようになってきました。
 トヨタの寺師茂樹副社長は2019年9月、名古屋オートモーティブワールド2019の基調講演において、2020年の東京オリンピックパラリンピックに向けて、従来のリチウムイオン電池に代わる全固体電池を搭載した電動モビリティの開発を進めていることを明らかにしていましたが、いよいよヴェールを脱ぐ時が来たのでしょうか。

 自動車用全固体電池の開発に成功したとなれば、テスラをはじめとする欧米のメーカーや、近年、全固体電池の研究開発において存在感を増している中国のメーカーをも圧倒できるだけに、いやが応にも期待が高まります。
 ただ、事情に詳しい研究者や技術者からは、過度の期待を戒める意見も出されています。  
 例えば山田淳夫(東京大学工学系研究科教授)は、2月3日に配信された東洋経済の記事”電気自動車普及のカギを握る電池技術の現在地 - 全固体電池への過度な期待は禁物”において、『センセーショナルな記事やそれを煽るメディアが、やや一人歩きしているように見える』と注意を促しています。

 また、電気自動車のための急速充電器・充電スポット検索アプリEVsmartチームが運営するEVsmartブログの記事 ”電気自動車の進化に必須といわれる「全固体電池」は実用化できない?” は、電池の第一人者といわれる雨堤徹(三洋電機、Amaz技術コンサルテイン合同会社代表)の意見を紹介しています。とてもわかり易い説明なので、少し長くなりますがご紹介します。

『雨堤さんは、全固体電池の最大の課題について次のように話してくれました。
「量産化する上でいちばん問題なのは、固体と固体の接触面積をどうやって確保し、維持するかです。液状だから電極の接触面積を大きくできますが、形が決まっている固体電解質では難しい。それなのに、誰もそこにフォーカスしない。電解質の話ばかりで、接触のインターフェースの話はほとんど出ていません」
「ある東工大の先生は電解質の伝導率が高いと言ってますが、そんなの関係ないんです。電解質と正極、負極とでイオンのやりとりをしないといけない。そのためには接触面積をしっかり確保しないといけない。それがちゃんとできるかどうかが電池を実用化するための問題なんです。例えば、日立造船さんは、ものすごく高圧のプレスをして固体と固体の接触を改善しましょうという取り組みをしてますが、エネルギー密度など出ている数値は実用電池としてはまだ低い。それが実態だと思います」
 今年6月、村田製作所は「業界最高水準の容量を持つ全固体電池」を開発したと発表しましたが、用途はウェアラブル機器などを想定していて、EVのような大容量、大出力のものではありません。雨堤さんは続けます。
「実験では、数ミクロンというすごく薄い電池を作っています。電解質を蒸着したようなものです。そのくらい薄くしないと性能が出ないんです。だから、容量の大きいものを量産する時にはどうするんですかって聞くと、数千層を積層しますって言うのですが、量産性を考えるとそんなのできるわけがないですし、逆にエネルギー密度は激減します」
「電池は、充電時には正・負極が膨張して、放電時に収縮します。電解質が固体だと膨張、収縮に十分追従できません。確かに実験室レベルでは全固体電池はできるので、ウソだとは言っていません。でも実用化のハードルはいっぱいあって、そこにメスが入れられず30年くらい前から悩んでいることが何も進んでないんです」
 ・・・高い目標を掲げるのは悪くはないと思いますが、現実離れした数字は社会をミスリードすることになってしまうのではないかと危惧します。
 雨堤さんは、関心と予算が集まっている全固体電池に研究者がとられてしまっていることが問題だと危惧しています。
トヨタが独自に全固体電池をやるのはいいでしょう。でも周りを巻き込んで、貴重な技術者をとられるのは大きな問題だと思います。実際に日本の電池研究者がたくさん、全固体電池に流れています。毎年秋に開催される「電池討論会」(電気化学会主催)でも、全固体電池の話がとても増えていますね」
「全固体電池は安全だという話も出ていますが、今の液系リチウムイオン電池に大きな問題があるわけではありません。これで十分に成り立っているんです。それなのに、値段が高くて性能が落ちる全固体電池を誰が買うのでしょうか」
トヨタとしては、次世代電池の解決策が出てこない中で同じことばかりはやっていられないので、いろんなことを探してくるのではないでしょうか。基礎研究としてリチウム空気電池をやったり全固体電池をやるのは重要なことだと思います。しかし、無責任に実用化が近い様なことを吹聴するのは、私から見ると、真摯な研究のあり方とは思えません。少ない研究者が全固体電池に振り回されて、実際に必要な、例えば正極材の新しい材料を開発するなどの研究が進んでいない。トヨタの発言は影響力が大きいので、もう少し現実的で実体のある取り組みにも注力してほしいですね。現状は、日本の電池研究の足を引っ張っているのではないかとさえ感じています」
 辛辣な言葉で現状を語る雨堤さんの言葉を、ここではできる限り、そのまま紹介しています。
 全固体電池に関しては、2018年に調査会社の富士経済(東京都中央区)がまとめたリポートに、2017年の21億円市場が2035年に2兆7877億円になるという試算が出るなど、日本国内の「熱」は上がりっぱなしです。
 現在までに、トヨタの全固体電池の研究開発がどの程度まで進んでいるのか、詳細はわかっていません。来年あたり、雨堤さんもアッと驚くような成果が発表されるのであれば、それは素晴らしいことです。でも、電池研究に人生を捧げてきた雨堤さんの知見に照らせば、全固体電池に「EV用電池として明確なメリットはない」し、「量産実用化への壁はまだ何も解決されていない」のが現実であるということです。
 夢を語るのもいいとは思いますが、地に足が付いた研究開発が大事なのは当然のこと。全固体電池が、ドタバタの「夏の夜の夢」にならないといいのですが、はたしてどうなっていくのでしょうか』
 トヨタをはじめ多くのメーカーや研究機関を巻き込んだ全固体電池フィーバーが、日本自動車産業の壊滅という悪夢を招来しないことを、ただただ祈るばかりです。

集金人の到来

17〜8年ほど前、広告代理店からの依頼で、地方自治体の文化施設整備・運営や文化関連プログラムのあり方に関する原稿を書いたことがあります。
 人類が経験したことがない超高齢化社会が到来すれば、医療や社会福祉の分野で膨大な財政需要が発生する。人口の0.5%にも満たないクラシック音楽ファンのために本格的なコンサートホールを整備したとしても需要はないだろうし、よしんば使われたとしても演歌やポップスの興行がほとんどだろうから、これ以上つくるべきではない。また、貧弱なコレクションや史料しかないにもかかわらず、区市町村単位で美術館や博物館を設置することは、税金の無駄遣いに以外の何ものでもない。そんなお金があるのだったら、シャッター通りと化した商店街の空き店舗を借り上げてライブスペースやギャラリーを設置したり、廃校になった校舎を利用してアーティスト・イン・レジデンスなどのプログラムを展開するといったことに投入すべきである。そんな内容だったと記憶しています(もちろんネーミング・ライツの活用といった広告代理店のビジネスに結びつく提言も、さりげなく紛れこませていたのですが)。
 その小冊子のサブタイトルに選んだのが、ガルブレイスの古典的名著 ”ゆたかな社会” (1990年3月、岩波書店同時代ライブラリー)第13章の見出し『集金人の到来』です。欲望のおもむくままに借金を重ねていくと、やがて集金人がやってきて苦境に追い込まれる、という消費者が可処分所得の伸びを上回るペースで負債を増大させていくことの危険性を指摘したガルブレイスの警告は、地方財政にも当てはまると考えたからでした。

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 この警告は、地方自治体だけでなく一般政府(国の一般会計・非企業特別会計や事業団の一部から成る中央政府地方公共団体の普通会計・公営企業会計などから成る地方政府,および国の社会保障関係の特別会計などが含まれる社会保障基金)の財政にも敷衍できるでしょう。では、集金人はいつ、どんなきっかけでやってくるのでしょうか? この問いは、次のように言い換えることもできます ー 日本銀行による事実上の財政ファイナンス(中央銀行による国債引受け)は、いつまで続けることができるか?
 原真人(日経新聞朝日新聞)の“日本銀行「失敗の本質」”(2019年4月、小学館新書)のなかに、次のような一節があります。
『止められない異次元緩和をずっと続けたら、この先に何が待っているのだろうか ー 。元日銀研究所長の翁邦雄へのインタビューで私はこんな質問をした。翁は「何が起きるのか専門家でも十分に分かっていない」と言って、こう続けた。「ただし最悪のケースでは、円が暴落するのではないかと心配している」』
原は為替実務家の意見も紹介しています。
『・・・今日本が長期的に本当に心配しなければならないのは、翁が指摘するように「円暴落」リスクである。みずほ銀行国際為替部チーフマーケット・エコノミストの唐鎌大輔もこの見方に同意する。「日本が経常黒字のうちはいい。だが、高齢化が進めば、日本は何は経常赤字になっていくだろう。そのとき、円急落が始まる恐れがある』
 ここで素朴な疑問が湧いてきます。円安は日本の製造業にとって歓迎すべきことではなかったのか? 黒田日銀による量的・質的金融緩和政策の狙いが円安誘導にあったことは、よく知られています。翁は、”経済の大転換と日本銀行”(2015年3月、岩波書店)において、次のように書いています。
アベノミクスは、大胆な金融政策、機動的な財政政策、成長戦略の三つの要素(三本の矢)から構成されている、と説明され、一般にそのように理解されている。しかし、安倍氏の経済政策が順調に立ち上がったという印象を与えた最大の要素は、「三本の矢」ではなく、円安である。2012年11月15日の講演で、安倍氏自民党総裁(注:首相就任前)として、円高是正とデフレ脱却を同時に打ち出し、これに対し、為替市場が強く反応した』
 ではなぜ、本来なら歓迎すべき円安を憂慮するのでしょうか?
 その理由は、早川英男(日銀、富士通総研)が”金融政策の「誤解」ー壮大な実験の成果と限界” (2016年7月、慶應義塾大学出版会)で述べているように、円安にもかかわらず輸出はさっぱり伸びず、期待していた円安→輸出増加→鉱工業生産増加という好循環が生まれなかったことにあります。
『・・・大幅な円安にもかかわらず輸出がほとんど伸びなかった点は、経済学者・エコノミストの多数派にとっても大きなサプライズであった。(中略)この輸出の伸び悩みに関して、当初はJカーブに基づく効果発現の遅れを指摘する見方が多かったが、現在では①世界経済全体の回復しの鈍さに加え、②円安でも日本企業の海外生産拡大の流れは変わらないこと、③エレクトロニクス分野を中心に日本産業の競争力自体が衰えてしまったことなど、より構造的な要因を重視するのが一般的になっている』
 早川が挙げた3つの要因のうち、特に3番目の「エレクトロニクス分野を中心に日本産業の競争力自体が衰えてしまった」という点は注目に値します。
 日銀レビュー”実質実効為替レートについて”によれば、実効レート計算にあたって日本が占めるウエイトは90年代以降、米国だけでなくユーロ圏、中国、韓国においても大幅に低下しています。

https://www.boj.or.jp/rese.../wps_rev/rev_2011/rev11j01.htm/

 同時に、中国や韓国、タイなどとの輸出競合度(ESI)が急速に高まってきたことが分かります。実質実効為替レート指数が過去40年間で最低水準の超円安だったことを考え併せると、加工組立産業を中心とする日本製造業の衰退が、いかに凄まじいものだったかが見て取れます。

https://www.stat-search.boj.or.jp/.../fx180110002.html

 円安→輸出増加→鉱工業生産増加という好循環が成り立たなくなったからといって、円安のマイナス効果が緩和されることはありません。翁や唐鎌が危惧する円の暴落が起これば、エネルギーや食料の多くを輸入に頼る日本は、猛烈なコストプッシュ・インフレに見舞われるでしょう。集金人の到来です。
 いささか古いデータで恐縮ですが、河村小百合(日銀、日本総研)の”中央銀行は持ちこたえられるかー忍び寄る「経済敗戦」の足音”(2016年11月、集英社新書)によれば、2016年8月時点において日銀が保有する国債の加重平均利回りは0.4%に過ぎません。一方、異次元の量的緩和を行った結果、バランスシートの負債サイドの大半を占める日銀当座預金残高は303兆円に膨れあがっています。つまり、当座預金への付利を1%に引き上げるだけで、0.6%、金額にして1.8兆円強の逆鞘が発生します。4%の場合は10.9兆円(303兆円×0.036)、6%の場合は16.96兆円、10%の場合は29.08兆円です。2016年以降も当座預金残高は膨張を続けていますし、国債の残存期間の加重平均は7年超ですから、猛烈なコストプッシュ・インフレがもたらす日本経済へのマイナス・インパクトは計り知れません。日銀による財政ファイナンスが継続不能となり、財政破綻(デフォルト)に陥るのを避けるために、資本移動規制とセットになった金融抑圧の下でのインフレ容認(インフレタックス)といった悪夢のような政策が強行されるかもしれません。インフレ圧力の高まりに対してどのような対処法があり、どのような結末が待っているのかについては様々なシナリオが提示されていますので、いずれ整理してご紹介できればと考えています。
 では、集金人がドアをノックするのはいつなのでしょうか? ここからは与太話として読んで欲しいのですが、おそらく5年後ではないか、僕はそう考えています。
 まず、2025年までに団塊の世代全員が後期高齢者となりますが、これは経常収支に大きなマイナス圧力となります。次いで、超低金利政策の長期化は金融の安定を阻害すると考えるFRBが出口戦略を進め、日米の金利差が拡大、円安ドル高へと傾いていきます。そしてトドメは日本自動車産業の急速な衰退です。EV化の波に乗り遅れたことにより輸出が激減すれば、自動車産業が支えてきた貿易収支は赤字になり、自動車関連産業がもたらしてきた第一次所得収支の黒字も減少し始めます。そのとき円と日本国債への信認が一気に失われ、円の暴落と高インフレが襲いかかってくるーそれが2025年頃ではないか。そんなことを考えている今日この頃です。